とらじぇでぃが色々書くやつ

Vtuberの「中の人」は公表すべきか?

 

 

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 どうも、とらじぇでぃです。

 

 先日の朝、というか13時ごろ(笑)、目を覚ましTwitterを開きますと、「ゲーム部」が日本のトレンドに上がっていました。4位。「ゲーム部が何か発表でもしたのかな?」と思い、少しウキウキした気持ちで詳細に飛びましたが、違いました。その中心は、「ゲーム部解散」との、不穏な噂でした。

 

 どこが出所かはわかりませんが、「運営とゲーム部の4名があまり上手くいっていなかった」という内容は、注目を集めるには十分なものだったでしょう。

 

 私はこの記事で、その噂の真偽について検討したり、真偽不明の事柄について意見したりすることはしません。どこから湧いてきたかも分からない情報なので、それに意見するというのは、かなり怖いことです。

 

 しかし私は、火のない所に煙は立たぬという諺は一理あるのではないかとは普段から思っていて、運営やゲーム部の面々がどう動くかは、あくまでも静観という形ですが、注目したいと思っています*1

 

 

 さて、私が今回話題にしたいのは、Vtuberの「パーソン」の要素、すなわち中の人や魂と呼ばれるものの要素についてです*2。参考記事として、こちらの記事を挙げておきます。

 

lichtung.hateblo.jp

 余裕のある方は是非読んでいただきたいです。この記事で用いるパーソンの概念など、Vtuberを理解するにあたって不可欠なことがたくさん詰まっています。

 

 

 さて、私はその日、暇なりに1時間くらいゲーム部についてのツイートを眺めていたのですが、「解散マジか……」「運営許さん」といった大多数のツイートに混じって、「中の人を公表すべきではないか」という意見がいくつか見られました。

 

 中の人を公表するというのは、Vtuberをあまり視聴しない人からすれば、全く構わないと思われるかもしれません。Vtuberは結局のところアニメキャラクターのようなもので、キャラクターと声優がいるに過ぎない」と。

 

 たしかに筋が通っているように思われます。

 実際、私も過去に、「Vtuberは日常アニメのようなものだ」と書きました*3

 

 (↓その記事。本稿とは打って変わってふざけた内容です)

tragedy.hatenablog.com

 

 しかし、よく視聴する人にとってみれば、きっと違和感があるに違いありません。「中の人公表って、それはどうなの?」と言いたくもなるでしょう。

 

 本稿では、この是非について少し考えてみようと思います。

 

 念のため記述しますが、この記事には誰かを攻撃したり、貶めたりするような意図は一切含まれていませんし、私はそのような意図をもって記事を書いたりはしません。

 あくまで個人的意見として、忙しい方は流し目に、暇を持て余している方はのんびりと読んでいただければと思います。

 

 それと注意ですが、この記事は脚注含め19000字近くあります。余裕をもって読み始められることをお勧めします。

 

 また、私の文章力の無さから、みなさんが文章を読むうえでの手がかりをいくつか入れ忘れた部分があるので、冒頭にて、用語の定義を羅列しておくことにしました。参考記事とは違う使い方をしている概念もあるかもしれませんので、すみませんが読む途中にでも、確認のほどよろしくお願いします。

 

 では、話を始めましょう。

 

 

 

 

本稿で用いる語の定義 

  • パーソン……三つに分けられるVtuberの身体の一つ。「キャラクターを動かす何者か」として認識するもの。いわゆる中の人、魂。
  • ペルソナ……Vtuber身体の一つ。Vtuberが持つ設定の要素や、それによって視聴者が形成する印象のこと。メディア論で用いられる「メディアペルソナ」からの流用。
  • キャラク……Vtuber身体の一つ。Vtuberの画像や、3Dモデルを指す。界隈一般に言う「肉体」や「ガワ」。
  • 中の人……パーソンと、Vtuberを演じる具体的な人物の両方の意を含む概念。魂も同義。
  • フィクショナルキャラク……ペルソナの表象としてのキャラクタ。Vtuberそのものとして理解される図像。
  • パーソンのペルソナ……パーソンの要素が視聴者に与える印象。
  • フィクショナルキャラクタのペルソナ……ペルソナとほぼ同義。フィクショナルキャラクタの要素が視聴者に与える印象。
  • 演者……具体的な固有名詞を持つ、リアルの人物。Vtuberを介さない、人そのもの。*4
  • 声優……アニメなどで、声のみを担当する人物。
  • 心身未分……Vtuberのパーソンとペルソナは言語化以前では区別されず、渾然一体に認識されるということ。筆者の造語。
  • 抽象的救済……間接的かつ穏健にVtuberトラブルを解決しようとする考え方。造語。
  • 具体的救済……直接的かつ急進的にVtuberトラブルを解決しようとする考え方。造語。
  • ……ファンと対面する姿、あるいはファンが形成する印象。メディア論でのペルソナに同じ。

 

 

 

 

はじめに:肯定派の意見と私見

 

 まず、公表肯定派の意見はだいたいこうでしょう。

 

「①運営-Vtuber関係において、演者(=中の人)が明かされずブラックボックス化していることがトラブルの温床である。②さらに、演者が誰であるか秘匿される以上、演者にとってVtuberを演じることは彼・彼女らのキャリアに繋がらない。③また、演者公開によって運営だけでなくファンも、演者に注目するような環境を作り上げるべき」

 

 よい意見のように見えますね。

 

 対して、私の意見はこうです。

 

「❶運営-Vtuber関係のトラブルは各々の契約関係に基づくものであるから、その防止において重要なことは演者を明かすことではない。❷また、キャリアと知名度は別物である。❸さらに、もうすでにファンは演者の功績というものを無意識的に理解している。中の人を公表するまでもない。」

 

 

ブラックボックス

 

Vtuberの三つの類型

 

 ①のブラックボックス化については、たしかにVtuberというコンテンツの悪い側面ということもできそうです。というのも、パーソンや演者に触れないことは、Vtuber視聴者にとって当然の慣習であり、パーソン・ペルソナ・キャラクタの三要素は、Vtuberにとってどれも欠かせないものであるからです。

 

 具体例を見るために、私はVtuberを、パーソンとペルソナ・キャラクタの関係において、大きく3つの部類に分けようと思います。

 

 

 Ⅰ完全秘匿型

 Ⅱ秘匿型

 Ⅲ半秘匿型

 

 

 Ⅰの完全秘匿型は、パーソンを感じさせるものを一切出さないタイプのVtuberです*5。簡単にいえば、メタ要素を一切許さない部類のVtuberです。

 

 設定をふんだんに盛り込んだVtuberを想像してみてください。キズナアイを筆頭とし、にじさんじ竜胆尊や、夢月ロアでびでびでびる、件のゲーム部などがそうでしょう。彼らは自分自身の世界に住み、視聴者にパーソンを感じさせないようふるまいます。すなわち、ペルソナを大きく前面に出し、配信や動画公開に努めているのです。

 

 彼らにとって、パーソンが出てしまうことは致命的でしょう。

 

 たとえば、うっかりリアルの生活について喋ってしまったり、設定と矛盾することを喋ってしまったりすれば、配信者・視聴者ともども、気まずくなってしまうはずです。

 

 

 Ⅱの秘匿型は、一応ペルソナとしての設定はもっていますが、しかし、パーソンのペルソナが滲み出るように時折表出し、またそれがそのVtuberにとって魅力になっているタイプを指します。

 

 当然ですが、ここでいうパーソンのペルソナの表出とは、フィクショナルキャラクタ(=Vtuberのパーソン以外の部分)のペルソナと相反するなどして、パーソンのペルソナが際立つ形となっているもののことです。普段パーソンとペルソナは一体となっていて、境は見当たりません

 

 このタイプに当てはまるVtuberでは、月ノ美兎がまさしくそれでしょう。

 

 彼女は女子高生で清楚な委員長として売っていたのが、もつ鍋とビールが好きだと言ってしまったり*6ムカデ人間が好きだとか、雑草を食べたりしたと言ってしまったりなどのギャップが受け、爆発的な成長を遂げました。

 

www.youtube.com (↑1:38:50あたりがもつ鍋)

 

 これはすなわち、パーソンのペルソナの表出、露呈です。清楚というフィクショナルキャラクタのペルソナと、雑草を食べたというパーソンのペルソナの衝突が起こり、それが魅力を創出しているのです。

 

 

 Ⅲの半秘匿型というのは、メタを、積極的とは言わずとも、ある程度は許容するタイプのVtuberです。

 

 半秘匿型のVtuberは、ある程度のペルソナをもってはいますが、ほとんどパーソンがむき出しになっています

 

 例を出せば、元のじゃのりおじさんのねこます氏や、にじさんじ樋口楓DWU、エンタムのもちひよこ、ぱりぷろの神楽めあなどでしょうか。

 

 DWUは自身を深層ウェブの令嬢だと自称していますが、雑談では過去に声優をやっていたなどの発言をしています

 

 もちひよこは「人生二周目幼女」を名乗り、ディズニーオタクをカミングアウトしたり、モデル制作スキルを披露したりする一方で、Vtuberとは何か」という動画を公開するなど、パーソンとペルソナの境を曖昧にした活動を行っています。

 


VTuberってなぁに? ※メタ話注意だよ!

 

 彼・彼女らにとって、ペルソナは特別に重要なものではなく、あくまでもパーソンとしての自身を思いのままに出す場としてVtuber活動をしているように思います。

 

 リアルの延長や、VRchatの世界の延長として活動している、といってもいいかもしれません。

 

 

 以上Ⅰ~Ⅲより分かるように、キャラクタは言わずもがな*7、パーソン・ペルソナは、どこに重きを置くかの差はあれど、それらは確かに、Vtuberの身体を構成しているのです。

 

 それはすなわち、Vtuberというコンテンツが、パーソン無しには存在できないということを指します。

 

 当然のことではありますが、今一度、再認識すべき点でもありましょう

 

 後にまたこの三類型に戻ってきますので、これらを軽く頭に入れていただけると良いと思います。

 

 

Vtuberの中の人がタブー化された理由

 

 そして、どのVtuberも、「中の人が誰であるか?」は完全に伏せられています

 

 たとえばアニメでは、担当声優が誰であるかは事前に、あるいは各話の最後で明かされます。アニメファンの中には、「○○さんだからみよう」といったアニメの選び方をする方もいるように、声優はアニメ評価のうえでも大きなウエイトを占めているといって良いでしょう。

 

 しかし、Vtuberはそうではありません。演者は公にされないのです。なぜならば、キズナアイキズナアイであり、電脳少女シロは電脳少女シロだからです。

 

 つまり、YouTuberが自身で動画を投稿するように、Vtuberも、体裁としては、彼らが自身で動画を投稿しているということです。さらに、彼らはアニメとは異なり、Twitterなどでリアルタイムに発信を行います。その姿はまさに、生身の人間です。

 

 アニメでは、創作された人物が先だって存在し、そこに声があてられることが多いです。つまり、声優の担当領域は声のみです。しかしVtuberではパーソンとフィクショナルキャラクタとは(ほぼ)一致しています。なので、もしパーソンが伏せられていなければ、ペルソナとの干渉が起きるでしょう

 

 顕著な例を出すと、猫宮ひなたや勇気ちひろといったロリ体型・ロリボイスで売っているVtuberは、演者の公開によって打撃を被る事がありましょう。リアルとバーチャルの乖離は一ファンとして想像したくないところではありますが……実際問題、それは大きなものだと考えられます。

 

 もし企業Vtuber*8に中の人を公表するよう迫るのであれば、こうした乖離を伴うVtuberに対しても、等しく同じ対応を求める必要が出てきます。今界隈で叫ばれる中の人公表の要求(意見)は、特効薬としてではなく、ワクチン、予防策としてのものでしょうから。

 

 そして話を戻して、もし中の人が公表されたならば、その公表を受けたVtuberを取り巻く環境は一変します。視聴する側としても、演じる側としても、困難が生じてくるようになるのです。

 

 たとえば、暗黙の了解により、Vtuberの中の人は触れられないようになっていますが、それは暗黙の了解を全員が能動的に守っているから成立しているのではなく、ただ単に、演者が公表されていないからこそ成立している一面もあると考えます。

 

 Vtuberの視聴形態というのは、細かな差異はありましょうが、ほぼ一本化されています。しかし、中の人を公表すれば、Vtuberをまさにアニメキャラクターと同一視する構えの視聴者が出現してもおかしくは無いのです。すなわち、「キズナアイかわいい!」だけではなく、「〇〇(中の人の名前)かわいい!」というコメントが、悪意なしに書き込まれることもありうるということです。そして、みなさんはそうしたコメントを想像したとき、言うも言われぬ違和感を覚えると思います。

 

 言うまでもないでしょうが、この違和感というのはVtuberの双方向性に根ざすものです。アニメでは、そのキャラクターは一方的にそのペルソナを視聴者へ押し付けるのみですが、一方Vtuberは絶えずしてファンと交流を行います。そして彼らは、その双方向性をもって、アニメのようなシナリオを用いず、視聴者の意見を取り入れながら配信や動画を作っていくというある意味寛容な流れの中で、今後の活動方針さえも決めていくというのが、大多数のVtuberのとる方針です。

 

 みなさんは、好きなVtuberに、あえて、「〇〇(演者の名前)さんですよね?」と問いかけることはしないですよね。なぜなら、それは気まずさを生じるからです。

 

 もし仮に、Vtuberになったごちうさ*9のココアちゃん*10と話せる機会があったとして、あなたは「あやねる*11の大ファンです!」と言ったりはしないでしょう。むしろ、タブーと感じるはずです。

 あくまでも、目の前にいるのはフィクショナルキャラクタであって、声優や演者ではないのです。

 

 そういった意味で、パーソンの秘匿は理にかなっています。誰に言われたわけでもなく自然にこうした、パーソンに触れない慣習が成立したのは、本質は虚構であるVtuberコンテンツを楽しむ上で必要不可欠なことだったのです。

 たとえ、みなさんがVtuber文化にそれほど馴染みがなかったとしても、ココアの例で少しは分かってもらえるのではないでしょうか。

 

 そしてその空気の中で、中の人を、運営側や中の人が自ら公表することに、どれだけの違和感が生じ、Vtuberというコンテンツにどれだけの支障をきたすかは、考えてもらえれば分かると思います。

 

 

契約関係

 

 そしてようやく❶に移るのですが、運営-Vtuber間トラブルの原因を、中の人の秘匿に見出すのは、私は違うと考えます。

 

 中の人が公表されているか否かは、トラブルの原因とは無関係です。運営-Vtuber間の取り決めは全て契約によるものであるので、はっきり言って、中の人が公表されていたとしても、それは予防にもならなければ、解決の糸口にもなりません。それは、法律の領域であって、 Vtuberコンテンツの領域ではないのです。

 

 「予防とは言わずとも、万が一トラブルになったときに、演者が声を上げやすいようにするためだ」と仰る方もいるかもしれませんが、それもまた、あまり良い策であるとは思えません。

 

 中の人が声を上げやすいようにとは言いますが、実際のところ、中の人が声を上げたとして、それによって起こるアクションとは、ファン、あるいは界隈が反応することくらいでしょう。弁護士や労基、その他の有識者に助けを求めるなら、ネットで声を上げずとも裏でこっそりとやればいいだけの話ですから、あまりメリットは感じません。そして、最終手段として演者が界隈に助けを求めたとしても、ファンが出来ることというのは限られており、かつ、とても少ないのです

 

 人々の声というのは、たしかに大きな力を持ちます。

 

 たとえば、アズマリムの件ではファンの声が運営を動かしたりといったことがありました。

 しかし、過去には朝ノ光や、牡丹きぃなど、悲しいかな、トラブルの中、消えていったVtuberもいるのです*12

 

 さらに言えば、会社-労働者関係から見てSOSを送るのは常に演者側でしょうが、そのとき本当に運営側だけに非があるのかということは、我々ファンには分かりません。しかも、おそらく運営側は、私たち視聴者にそこまで詳しい説明はしないでしょう。企業にその義務は無いのですから*13

 

 Vtuberの性格上必至であるパーソンの秘匿と、代えの効かないVtuberというしがらみに囚われ粗悪(かもしれない)な環境から逃れられないことの、ジレンマに苦しむ演者たちを救いたい」という気持ちはわかりますが、究極は契約関係なのです

 この二点、声優さんは事前によく考えて契約を結んで欲しい運営さんはクリーンな運営を遂行して欲しい、この二点しか、言えることはありません。

 

 おそらく、こうした声は、「俺たちにも何かしたい」という気持ちの表れなのでしょう。私も、トラブルを見るたびやるせない気持ちになりました。しかし、比較衡量*14すれば、あえて中の人を公表するという、コンテンツに支障をきたす道を選んでまで私たちにできることが多いかと言えば、それは残念ながら、そうではなく、事実は真逆なのです*15

 

 

声優のキャリア

 

 ②のキャリアもまた、もっともに聞こえる言説です。

 

 新米声優がVtuberを続けていると、世間的にはそのVtuberの名前のみが売れますので、中の人は名前が売れず、結果として将来性を確保できない中の人は、危ない橋を渡ることになる、ということでしょう。

 

 たしかに、もっともな意見です。中の人にとってはキャリアを積めるに越したことはないはずですから、Vtuberを続けながらも実績を残していけることには異論はないでしょう。

 

 しかし、キャリアと知名度はおそらく分けるべきです。

 

 キャリア声優歴として解しますが、それは中の人を公表しなくとも、オーディションの面接なり、仕事をもらうなりの時に、世間に公にされない形で、演者が企業にアピールすることは、一向に構わないでしょう。

 

 対して知名度は、世間の人にどれだけ知られているかですから、中の人を公表しなければ上がりません。メタな話、中の人が特定されているVtuberも多々いますが、一方、元々世に出ていない演者は特定されようがありませんから、知名度が上がることは余計に見込めないでしょう。

 

 これは問題のようにも見えます。しかし、素直に考えれば、Vtuberをやるという時点で、声優もそのコンテンツの概要は把握しているはずで、中の人を公表しないことも了承済みのはずです。

 

 もっと羽ばたきたいという新米声優は、失礼な話ですが、Vtuberよりほかの仕事を探すか、ほかの仕事と掛け持つかの工夫をしていると考えます。

 

 そこで我々ファンが、「キャリアのために」中の人を公表すべきというのは、少しお節介というか、若干、出すぎた真似にも思えてしまいます。

 

 しかしこの②に関しては完全に想像なので、これについては、私が出しゃばるのはここまでにします。実状に詳しい方が書いた記事なり、ツイートなりがあればそちらを参照してください

 

 

パーソンは軽視されているか?

 

あるツイートとその解釈

 

 ❸は、この方のツイートを見ての私見です。

 

 

 「フィクショナルキャラクタを褒めるだけではなく、中の人の功績をも認めるべきである」という言説ですね。

 

 一応補足すると、このツイートは、にじさんじ新ライバーが過去に違法行為をしていたことが判明し、騒ぎになったときの文脈で呟かれたものです。

 

 普段中の人とフィクショナルキャラクタを分離し、中の人をタブー視しているのに、犯罪沙汰などが起こった時はなぜ中の人を一斉に叩くのか? という内容でもあります。

 

 このツイートを中の人公開の論拠にしているものが見受けられたので、触れておこうと思います。

 

 まず、確認として、彼自身はおそらく、少なくともこのツイートを拝見した限りでは、Vtuberの中の人を公表しよう」とは考えていないと思います

 たしかに、「表に出てくれたほうが安心なのでは」とは呟いていますが、実際そう要求しているかといえば、このコンテクストの中では、そうは言いきれないように思います。Twitterでは文字数制限上論理が飛躍することが多々あるので、このツイートの解釈は人によって分かれるかもしれませんが、今回は「(誰かは分からないが)中の人を大事にしよう」「Vtuberと中の人は別人として考えよう」というメッセージが込められているとしましょう。

 

 

 

Vtuberの「心身未分」

 

 ところで、Vtuberを視聴していて、「この子の演技上手いなあ〜」と思う時、その称賛の対象はどこでしょうか? フィクショナルキャラクタでしょうか? パーソンでしょうか?

 

 いえ、どちらでもありません。もとい、どちらでもあります。それらは分割される以前の、一個の状態で認識されます。

 

 西田幾多郎純粋経験や、主客未分という概念は有名ですが、それに似て私たちは、Vtuberにおいて、そのパーソンとフィクショナルキャラクタそれぞれのペルソナの、未分状態において、Vtuberを認識します

 

 私たちが、「この子の声かわいいなあ」「かっこいいなあ」「トーク面白いなあ」と思う時、私たちはそれがパーソンのものか、フィクショナルキャラクタのものかなどと、いちいち意識しているわけではありません

 

 「月ノ美兎トークが上手い」とか、「もちひよこはモデリングが上手い」とかは、完全に理性が後付けしたもの理性が言語化を要請された際にやむを得ず分解したものなのです*16

 

 要するに、視聴者は、中の人を蔑ろにしているわけではない、ということです。これは声を大にして言いたいし、みなさんに知ってもらいたい考え方です。

 

 私たちはパーソンを軽視しているわけではありません。フィクショナルキャラクタを楽しむと同時に、パーソンの魅力も、確かに、享受しているのです。

 

 そして、私たちが中の人を軽視している・無視しているように客観的には見えるのは、先に述べた、Vtuber-視聴者の相互的関係に端を発する、コンテンツの性質に引っ張られ、フィクショナルキャラクタという主語を用いざるを得ないからなのです。

 

 つまり、コンテンツの性質とは換言すれば界隈のタブーのことですが、そのタブーによって、我々は無意識的にか仕方なくか、「月ノ美兎は〜」とか、「ミライアカリは〜」といった発言をしていることが、客観的に見ると、パーソンを蔑ろにしているように見えてしまう、という実態があるということなのです。

 

 しかし、実際のところ、「視聴者は中の人の功績を認めていない」などということは、全くありえません。視聴者は、繰り返しているように、フィクショナルキャラクタを楽しむと同時に、パーソンを楽しむこともしているからです。

 

 

アニメとVtuber

 

 ただし、この考えをアニメに適用してみると、少し無理が生じます。アニメ声優は声のみを演じるからです。アニメにおけるフィクショナルキャラクタは、パーソンを伴いませんので、声以外の部分は独立して存在しています。ですから、アニメでは声以外の部分はフィクショナルキャラクタであると断言できるのですが、一方、Vtuberはパーソンとペルソナは基本重なっていますから、先ほどのような、パーソンとフィクショナルキャラクタの両方のペルソナを、分かたれていない状態で認識することが可能なわけです。

 

 アニメとVtuberコンテンツは確かに似ていますし、共通している部分も多いため、比較できることもよくあるのですが、しかしやはり、両者は別物なのです。

 

パーソン≒中の人

 

 ただ、勘違いしていただきたくないのは、ここで言うパーソンは中の人と同義ではありません。パーソンは「キャラクタを纏い、ペルソナをもって活動を行う何者か」を指すのであって、誰それという具体的な固有名詞を直接は指しません。すなわち、パーソンは演者を直接さすものではありません。

 直接は指しませんというのは、言語化の作業の過程において、もし視聴者がそのVtuberの演者を知っていれば、その主語は何某かではなくて、その固有名詞がそれに代わって主語になるだろうということです。

 

 例えば、絶対天使くるみちゃんの騒動*17では、彼女が個人勢であったこともあり、中の人は特定されず、彼女は便宜上、フィクショナルキャラクタの名称で呼ばれていました。しかしながら、もし彼女の別名義が発覚していれば、幾ばくかの人は彼女をその名義、すなわち中の人の固有名詞で呼んだに違いありません。

 

 混乱されやすいと思うので、みなさんには一度最初の「用語の定義」に戻っていただくことになるかと思われますが、要は、パーソン、中の人、演者では、それらが含む意味の領域が異なるということです。中の人は、パーソンと演者両方を指し得ますから、そこを指摘したわけです。

 

 つまり、先の考えは、あくまでも、Vtuberの身体の一つとしての中の人」と、ペルソナが一体となって区別されることなく認識される、ということを指します。

 

 そして、言語化の際に、もし仮にその思考の主が、「演者としての中の人」を知っていたとすれば、そのパーソンは具体化され、演者にすり替わるだろう、ということが、ここでの言いたいことです。

 

 

三類型への適用

 

 さてここで、こうした、Vtuber「心身未分」の考え方(と、おそれながら呼ばせてください)をもって、もう一度、冒頭近くでパーソンとペルソナによりVtuberを分類したⅠ〜Ⅲに立ち返ってみましょう。

 

 そうすると、あの類型は、パーソンとペルソナの区別を指すと同時に、両者の一体度をも指すものだということが分かってきます。具体的にはⅠの完全秘匿型とⅢの半秘匿型は、パーソンとペルソナが合致している度合が高いのですが、Ⅱの秘匿型は未分状態を維持しつつも、時折、明確にパーソンと言わざるを得ない部分が出現します。

 

 Ⅰの完全秘匿型はパーソンと言うべき部分が現れませんから、パーソンとペルソナは限りなく接近し、重なってさえいるのです。その結果、Ⅰでは、パーソンとフィクショナルキャラクタの、未分状態が維持されます。

 Ⅲの半秘匿型もまた、パーソンとペルソナが限りなく接近しています。Ⅲのタイプは時折にしかペルソナに触れませんから*18、基本的には未分状態が維持されていると言えます。

 ⅠとⅢの相違点は、言語化される際、パーソンとペルソナどちらの面から見られることが多いか、というところにありましょう*19

 

 以上のように、Vtuberは基本的にはパーソンとペルソナは区別できない状態が続きます。

 

 そして時折、それが崩れることがありますが、しかしそうしたものは、目くじらを立てて、「バーチャルなんだからしっかりしろ!」などと言わなければならない類のものではなく、あくまでVtuberとして存続しうる程度の表出であり、さらに時には、魅力を増幅させることさえあるのです*20。であるからして、Ⅱの例があったとしても、それは中の人を公表すべき根拠とはならないでしょう*21

 

 

(余談)界隈はトラブルの時だけ中の人に注目するという指摘

 

 少しだけ脱線させていただくと、「悪いニュースの時だけ中の人が注目される(されやすい)」という話がありましたが、せっかくなので少しこれについても考えてみようと思います。

 

 先ほどからの考え方に基づけば、視聴者はいつも、パーソンをも意識しているということになるので、各々がパーソンに注意していないことはありません。ですので、もしなおも問題にされるとすればそれはおそらく、「なぜ普段の姿勢に反して、トラブルの時にはVtuberの主語がパーソンになるか(なりやすいか)?」であると考えます。

 

 この問いにも、主題への解答と同じ仕方で答えられるかと思います。つまり、トラブル発生時には、視聴者はVtuberの主語を、タブーに縛られる必要が無くなるということです。

 

 視聴者がVtuberについて言語化する際、その主語がフィクショナルキャラクタの名称となるのは、視聴者がコンテンツの性質(=界隈のタブー)に配慮したり、無意識の内に縛られたりするからでした。ですが、その制約が効果を発揮する条件を外れれば、視聴者はもはや、タブーによってVtuberの主語を、フィクショナルキャラクタに限らずともよくなるのです。つまり、パーソンを主語にすることにも違和感が無くなるのです。

 

 そして、そのタブーが生まれた要因というのは、Vtuber-視聴者の双方向性、相互的関係にありました。それは、配信上や、動画、ツイートなど、視聴者からそのVtuberに向けられた情報発信においては必ず、悪意がない限り、守られてきたことです。

 

 しかし、「運営-Vtuberのトラブル」は、あまりに現実的で、なおかつ、何度も繰り返して申し訳ないのですが、ファンの入り込む余地は一切残されていません。そこに双方向性は欠片も無く、議論をするならばそれはVtuberコンテンツの領域ではなく、法律など、リアルな領域で行われざるをえません

 

 「法律などリアルな領域で行われざるをえない」というのはつまり、運営-Vtuber関係においては、フィクショナルキャラクタはもはや、そこに関知しないということです。契約を結ぶのは、フィクショナルキャラクタではなく、パーソンであるから、視聴者もまた、フィクショナルキャラクタより、パーソンを意識するようになることは当然のことです。

 

 そうすると、もはやトラブル関係においては、Vtuberの問題はそのコンテンツのお約束から外れざるを得ないのです。トラブルに関する議論に、タブーはその性質上、影響を与えません

 

 「そんなメタなことを私は思っていない」と思われる方もいるかもしれません。

 しかし事実、法律などと対面するときには、Vtuberコンテンツの夢に甘んじることはできないのです。Vtuberが法廷に立つとき、VtuberVtuberとして答弁が可能なのかといえば、少し難しいところがありましょう。

 

 このように、本質的な部分を論理的に話そうとすれば、パーソンが意識されてしまうことはやむをえないことです*22

 

 

 しかしもちろん、アズマリムなどの内部告発に対してのリプライは、(Vtuberが自らコンテンツの領域を超えない限りは、)フィクショナルキャラクタを主語とした応援が飛び交います。

 

 ですが一方で、本人との双方向性を期待しない場、例えばTwitterで個人的に呟くことだとか、ニコニコ動画のコメントだとかでは、中の人に触れられることがあります*23

 

 さらに、ユーザーがTwitterよりもさらに強い匿名性で覆われ、Vtuberに直接関係しようがない場、つまり例えば5ちゃんねるなどですが、そこでは主語は限定されていません。パーソンか、フィクショナルキャラクタか、それは時によってまちまちです*24

 

 このような例は、そもそも、フィクショナルキャラクタとパーソンは分離されない状態で認識されるという先の「心身未分」から考えれば、不思議はありません。

 

 つまり、私が以上に断片的に述べたことから何が言いたいかというと、Vtuberコンテンツの外、すなわちVtuberとの相互的関係がもたらすタブーが働かない場では、パーソンとフィクショナルキャラクタのどちらを強調するかは本来自由であり、その自由故に、ペルソナの関知しないトラブルの発生時においては、パーソンを主語にした発言が、法など現実的領域を適用する問題から、増える、あるいは目につくようになる」ということです。

 

 ですから、私なりの答えとしては、指摘のコンテクストを考慮してみると、Vtuber視聴者は悪いニュースの時だけ中の人に触れるというが、それは良い悪いではなく、問題の性質と、観測する場所によるだろう」ということになります。

 

 ただ、中の人を粗探しして演者を特定し、犯罪歴を徹底的に叩いた例は、犯罪者更生の観点などから問題であるとは考えますが、しかしそこは本筋と逸れ過ぎるので、また別の機会にします。

 

 

抽象的救済と具体的救済

 

 本題に話を戻します。視聴者は、フィクショナルキャラクタと同時にパーソンの魅力も受け取っている、という話をしていました。そしてまさしく、先のツイート主が言いたいのは、こういった「抽象的救済」であろうと考えます。すなわち、「普段から中の人のことも考えてあげようね」という主張です*25

 

 対して、今、「中の人を公表しよう」とおっしゃっている方々は、おそらく基本は予防策として、そしてトラブル発生時には特効薬となりうるような「物理的救済」、もう少し正確なものに言い換えれば「具体的救済」を望んでいるのでしょう。失礼に響いたら申し訳ないのですが、彼らの内にあるのは、「中の人を公表してくれさえすれば、いつでも私たちはVtuberを救える」という自負なのかもしれません。

 

 しかし、その具体的側面からの救済は、これも先ほど述べた通りで、悔しいところですが、運営-Vtuber間でしかありえません。クリーンな契約の締結、契約の確実な履行、協議による契約の見直し……。こういったことは、当然ですが、ファンの側からはできないのです。実際トラブルが起きてしまえば、ファンは見守るしかありません。それはVtuberだけの問題ではなく、どの問題でもそうです。言い方が少し悪いかもしれませんが、当事者以外が首を突っ込んでいい・首を突っ込めるトラブルはありません

 

 さらに、パーソンが軽視されているという見方についても、私は人々の視聴態度から、そうではないことを示しておきました。

 

 以上、若干話題が哲学的になってしまいましたが、これらが本稿のタイトルへの答えです

 

 

 

真に公表すべきもの

 

 さて、ここまでパーソンを公表することの是非について述べましたが、ここまで来ていざ問題としたいものがあります。それは、演者でも、ファンの姿勢でも、コンテンツの体質でもなく、運営の不透明性です。

 

 

ベターな運営像

 

 ハニーストラップは私の好きなグループですが、その運営は「灰猫ななし」といいます。彼女は運営としては珍しく、メンバーたちと同じく肉体(=イラスト、キャラクタ)を授かっています

 

twitter.com

 

 彼女は、スケジュール配信など運営の仕事に加え、時折配信にコメントしたり、メンバーの運営への軽い愚痴に颯爽と現れたり、企画で配信に登場しリスナーとQ&Aをしたりなど、ほかの運営にはないフットワークの軽さ、柔軟さを持ち合わせ、さらにキャラも立っています。

 


【緊急枠】衣装リニューアル?!新衣装?!ななしー!!!!【周防パトラ / ハニスト】

 

 さらに、なかでも目を見張るのが、ハニーストラップのメンバーたちは自ら進んで、「ななしぃ!」と運営を話題にするというところです。しかも、かなり楽しそうに、です。

 これは間違いなく運営-Vtuber関係が良好であるということを指すでしょう。おかげで、視聴者も安心して推し事に励めるというわけです*26

 

 こんな運営が愛されないわけがなく、かのユルサレン反省*27も、ななしたち*28には一目置いているようです

 

 

 だからなんだと言われるかもしれませんが。

 

 ただ、ななしたちまでは行かずとも、にじさんじCOOのいわなが氏やUpd8社長のたけし氏など、責任者自身が表に出て、なおかつコンテンツを視聴者と一緒に楽しんでいる姿というのは、かなり好感が持てるところです。

 

twitter.com

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 運営-Vtuber関係の本質が契約であることは変わりありませんが、しかし、運営が自ら発言できるということは、単なる想像ですが、疾しいことがない、あるいは少ないことを指しましょう。発信するということはそれだけボロが出る可能性も高くなるわけで、疾しいことが多ければ多いほど、積極的発言は出来なくなるでしょう。

 

 そうした印象から、積極的な運営の発言が評価されるのは当然だと考えますし、多くのVtuber運営さんにも、同じように(つまりまさにペルソナを持ったアカウントを持っていただきたいと思っています*29

 

 

運営の顔が必要な理由②

 

 また、このツイートにもありますが、世間一般として、よく見知った人の味方に付いてしまうことはよくあります

 

 

 運営の「顔」が見えることに大きなデメリットは無いでしょうから、Vtuber運営や責任者は、親しみの持てる運営になれるよう努力し、視聴者とのコミュニケーションを通じて、視聴者の視聴態度などを分析し、より良い運営が行えるよう努めて欲しいと考えます。

 

 

 

最後に

 

 さて、この記事もようやく終わりです。

 

 私は本稿で視聴者とVtuberに加え、運営とVtuberについても語りましたが、何も一昔前の「権力」への見方のように、私は運営を敵視していたわけではありませんでした

 

 それはおそらく、ハニストのあの、運営との信頼関係を見ていたということもありましょう。

 

 不透明性に良いことはあまりない、顔を持ったアカウントを持ってほしい、ということは述べましたが、私はそれを、さらに一歩進めます

 

 私はこう言いたい。

 

 Vtuber運営各位は是非とも、Vtuberとの信頼関係を築き上げてほしい理想をいえばハニストのように、仲睦まじく運営とふざけあう姿を見せてほしい

 

 冒頭、私は「Vtuberは日常アニメのようなものだと言ったことがある」と書きましたが、その趣旨はVtuberの醍醐味のひとつは、人と人との関わり合いにある」というものです。

 

 私は、楽しそうにVtuberたちが遊んでいるところが見たいです。切にそう願っています。もちろん、運営とVtuberもその例外ではなく、私たちに、その仲の良さを是非見せつけていただきたいと、そう思います。

 

 

 

 

みれロアはいいぞ

 

 あ、関係ないけど、みれロア最高なので是非観てください。

 

 

 

 

 

 

 

 ハニストも最高だけど、みれロアもいいぞ!

 

 

  おわり

 

 

 

*1:先日株式会社unlimitedから発表があり、前向きに協議を進めていくとのこと。→さらに4/11に、同社から活動を続けていくことが宣言されました。

*2:そもそもパーソンとは何かというのは、こちらの記事を参照していただくほうが早いのですが、なにぶん少し学術的なので、簡単に説明します。筆者はVtuberを分析するにあたり、使いやすい概念があったほうが良いであろうと考え、Vtuberを構成する三つの部分を挙げます。中の人を指すパーソン、Vtuberの設定などを指すペルソナ、Vtuberの画像、俗には「肉体」と呼ばれるキャラクタの三つです。非常に便利なので、私は以下でもこれを使っていこうと思います。

*3:ただしパーソンについての立場は読んでいただければ分かる通り、異なるものです。

*4:演者もパーソンとして扱えることはたしかだが、ここでは人そのものを指すものとして扱う

*5:とは言いましたが、パーソンの定義上、それを一切出さないというのは不可能でしょう。たとえば竜胆尊は酒に強いことで有名ですが、その「酒に強い」という性格は、竜胆尊のペルソナであると同時に、竜胆尊のパーソンの表出でもあるといえるでしょう。これがすなわち、後に言うパーソンとペルソナの重なりです。

*6:正確にはビーrと思いとどまっていますが。

*7:例外としては千代家ぷりりがキャラクタを持たずに活動していたことがありましたが、今は彼女もキャラクタを獲得しています。

*8:企業に所属するVtuber。注目される騒動は多くの場合、この企業=運営と、その契約関係にあるVtuberの間で起こる。企業Vtuberに対して、名取さな等、個人Vtuberも存在する。

*9:ご注文はうさぎですか?』の略称。大本である原作は漫画ですが、今回はアニメ版のごちうさを提示しています。

*10:ごちうさの登場キャラクター

*11:ココアの声を務める声優・佐倉綾音の愛称

*12:もちろん、具体的・個別的に見れば、各々の問題の性質が全く異なっていることは理解しています。特に牡丹きぃは最近また姿を見せましたが、そこに起きたトラブルについては未だに疑念が晴れず、さらには、運営、Vtuberのどちらが元凶かもはや分からないほどに、問題が複雑化しているようです。しかし、この場合もまた、中の人の公表で問題が解決するわけではないということだけは言えるでしょう。

*13:ただし、多数に求められたり、議論の場が世間に移ってしまった場合は声明を出すことはあるとは考えます

*14:法学用語です。一方の利益ともう一方の侵害の度合を比べるものですが、ここでは単純に利益の比較くらいの意味で用いました。

*15:念のため脚注にて繰り返しますが、この章は声を上げるなという意ではなく、中の人を公表する根拠にはならないという意であります。もし中の人が自らコンテンツの外側に踏み出し、置かれた状況を告発したならば、それはすなわち中の人に為す術が無くなったということでしょうから、私たちは運営に、事実説明の必要性を訴えても良いでしょう。多数の声が集まれば、運営も声明を出さざるを得なくなるでしょう(ただ、そこで審判を下すべきではありません)

*16:同じようなことが、参考記事では「三層理論」として紹介されていますし、未分状態もまた「バーチャルユーチューバーはペルソナとパーソンが一体となって認識される」と指摘されていますので、併せて参照いただければと思います

*17:Vtuberが爆発的に増え、個人勢も同時に増加したころ、彼女がTwitterアカウントを乗っ取られたことに始まる騒動。近親者との人間関係においてトラブルがあり、当時人気だった絶対天使くるみちゃんはそのTwitterアカウントやYouTubeチャンネルを削除されてしまった。概要はこちら

*18:それも、思い出したように言うのでそこも面白いですよね

*19:これが前の脚注にも述べた、参考記事にて取り上げられる、「ペルソナとしてのバーチャルユーチューバー」、「パーソンとしてのバーチャルユーチューバー」だと私は理解しています。

*20:では存続できないほどと思われる致命的なミスはどうか。のらきゃっとの痛ましい事故は悲しくも有名になってしまいましたが、のらきゃっとはあの事故を乗り越え、今も活動を続けています。中の人が判明してしまったとしても、そのショックを上回る魅力がのらきゃっとにあったということでしょうが、おそらく生半可なVtuberなら、笑い者にされ舞台から姿を消していたことでしょう。中の人が露呈することは、良い結果をもたらすこともあるかもしれませんが、それより遥かに多く、悪い結果をもたらすことになるでしょう

*21:わざわざⅡを区別したのは、これを言いたいがためです。しかしⅡはⅢに還元できる性質のものなので、他にも言いようはあったと少し反省している点ではあります

*22:しかし、だからといって、中の人としてのアカウントに直接リプライを送ったりして良い理由にはなりません。この考えをその正当化に使ったりはしないでください。彼らにとって、Vtuberとは別なアカウントは、プライベートとしての聖域です。彼らはまさしく「ペルソナ(=仮面)」を被っているわけで、それを外して寛げる空間が、プライベートなアカウントです。問題がパーソンのものだとしても、その平穏に踏み込むようなことは、どうかしないでください。ある人は、トラブルの渦中にある人のプライベートを追いかけ、話を聞こうとするマスコミを批判しますが……酷な宣告ですが、それと同じようなことではありませんか?

*23:ただ、Twitterは少し例外のように感じていて、そもそも、今まで申し上げた通り、Twitterなどは本来タブーは及ばないはずなのですが、Twitterユーザーは別に強制されたりすることなく、主語をフィクショナルキャラクタに限定します。これはおそらく、コンテンツの延長としてTwitterを利用しているからでしょうが(というのも、Vtuberが利用しているのもまたTwitterだからでしょう)、しかし彼らでさえも、みなさん自身の経験に照らしてくだされば頷いていただけると思うのですが、ペルソナの関知しない問題に関しては、パーソンを主語にすることが往々にしてあります。

*24:不要かもしれませんが注意しておきます。5ちゃんねるのVtuberスレッドを覗くことは、やめたほうがいいと思います。純粋にVtuberを楽しんでいる多くの方々には、個人的にあまりおすすめしません。フィクショナルキャラクタから逸脱したパーソンの部分を知ることは、コンテンツを楽しむ気持ちには毒だと、個人的には思いました

*25:これが、演者について積極的に触れ、発言していくべきという趣旨ではないことを祈ります

*26:ハニストの他にもこういった点は見当たります。私の見ている限りでは、にじんさんじライバーの「いちからぁ!」や、湊あくあのホロライブ運営爆破などがそれでしょうか

*27:Vtuber界隈の神絵師。正体は不明だが、本人は詮索しないでくれとのこと。タグなどは一切付けず無言で画像を投稿するが、それでもその「いいね」数は多くの絵で1万を超える。

*28:灰猫ななし、あにまーれの黒猫ななし、ブイアパの銀猫ななしのほか、多数のななしが存在するといわれている

*29:運営に関わる者の名前を出せという主張を見かけました。トップの名前なら分かるのですが、もし全社員を指して言っているなら「ええ……」という少し呆れたような感想を持ちます……。しかしあえて答えるとすると、それもまたVtuberコンテンツの複雑さに関わってくるように思いますし、また同じ論理ですが、社員名が公表されたからといって、根幹の部分は解決されません。それに何より、不正確な情報が氾濫したとき、個人情報を公開された社員たちが一体どんな目に遭わされるか。考えただけでもゾッとします。