とらじぇでぃが色々書くやつ

とらじぇでぃが色々書くやつ

主にVTuberの記事を投稿中。

ルールとか罰則とかの話と、過去に勝手に頓挫した一つの提案

 

 以下の記事は、3月の頭に書き終わったものの時期を逃し、発表し損ねていたものです。

 3000字程度のものなら躊躇いなくお蔵入りにするのですが、加筆修正を加えているうちに文字数が10000を超えてしまい。ボツにするのも勿体ないということで、ひっそりと投下することにしました。

 

 本文に移る前に、念のためお断りしておきますが、私には、この記事で取り上げた2つの問題を蒸し返すような意図は、全くありません。各々の問題は、それ自体は解決したものであります。

 また、私はその問題自体に対して問題提起をしているわけではありません。

 主題のきっかけとして、そしてあくまでも、例えとして、つまり主題の理解の助けとして問題を取り上げているわけであり、さらに言えば、その問題に対する意見はあくまでも添えられたものであって、本筋である主題は別にあるのです。

 そのことを、読者のみなさん、どうかお忘れなきようお願いいたします

 

 

 

 

 

 

 

 

 とらじぇでぃです。

 

 いやはや、昨今のシャドバ界隈*1はひどい荒れ模様でしたね。

 

 特に大きな問題となったのは、アマチュアチームRovの除名問題*2や、同じくアマチュアチームのVOPメンバーの不正問題を発端とする一連の騒動*3でしょうか。

 

 私はこれらについて、タイムラインが騒ぎになっても話題に触れないよう意識しておりましたが、全く関心が無いわけではなく、まず私がアマチュアチームのリーダーでありメンバーが大好きであって、彼らを守る努力を尽くそうと考えているため、そういったいわゆる炎上の動向やパターンを分析しておくことは多かれ少なかれ役に立つであろうこと、また、悲しいかな、私の内にある知識欲と野次馬精神が騒ぎ出してしまって、暇なりに勝手に手が調べだしてしまうため、私は「無関心です」とはいられなかったのです。

 

 という私の事情はどうでもいいでしょうが、そうした不安定なこの界隈に、秩序を与えるためにはどうすればいいか、少し考えたところ、そもそも「ルールとは何か」から話を始めたほうがいいのではないかと思い始めました。

 

 そういうわけで本稿では、①ルールとは何か、それに伴う②罰則とは何か、①と②を基に話を進めていく③シャドバ界隈への適用、そして最後は私が1年ほど前に考えたが半ば諦めていた事柄に関する、④シャドバ界隈における権力、の4つを扱います。

 

 といっても、私がオリジナルに考えたことなどほとんどありません*4。人文系の本を読む方なら知っていて当然のことばかりでしょう。ですが、そうでない方ならきっと得るものがあるはずです。フランシス・ベーコン*5という人は「知は力なり」と言いましたが、ある程度の知識は視野を広げてくれます。

 

 また、書くにあたって、蛇足と思う箇所は脚注に放り込んでおきました。この記事を読んでさらに暇がある人は読んでみてください。

 逆に時間の無い方は、この記事を読むのを辞めるか(笑)、あるいは③のシャドバ界隈への適用から読むと良いと思われます

 

 目次

 

 

①ルールとは何か

 ルールとは何か。あまりにも漠然とした問いですが、頑張ってみましょう。

 

 まず、ルールの存在意義、次にルールと付き合ううえでの注意というように展開します。

 

 さて、物心ついたときから、私たちはルールに触れていますね。一番最初は、家庭内のルールでしょう。たとえば、「使ったおもちゃは元の場所に片づける」とか、「食事の前にはいただきますと必ず言う」とか。

 

 そして次に実感するのは、学校の校則でしょうか。「〇〇時〇〇分以降の登校は遅刻とする」とか、「試験の不正行為は停学または退学処分とする」とかがそれです。

 小学校ならば、同時に「信号は守らなければならない」などの社会上のルールも学ぶことになるでしょう。

 そして社会に出れば社則というものも存在します。

 

 そして、規範のおおもとになる法律も見過ごせません。

 たとえば刑法では、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。*6」となっていますね。他にも民法や商法などの大きな括りの法律から、〇〇に関するなんたらかんたらといった特殊な法律まで様々なものが存在しています。私たちはこれらに従いながら、日々を送っています。

 

 こんなルールに対して、面倒だとか、なければいいのにとか思ったことが、誰しも一度はあるでしょう。ルールというものは、私たちに制約を与え束縛するものです。いわば、自由を制限するものであります。それでも、私たちはそれを守らなければなりませんし、実際、私たちはそれを許容して暮らしています。それが何故かといえばもちろん、そこにはそうするだけの理由があるのです。

 

 では、その理由とは? なぜルールは存在するのでしょう? その存在意義とはなんなのでしょうか。

 

 言うまでも無いでしょうが、それは私たちが平穏に暮らすためです。ですがこれではあまりに抽象的で大雑把ですので、一度個別的に見てみます。

 

 上の例に立ち返り、まずは家庭内のルールを参照します。

 

 「使ったおもちゃを元の場所に片づける」というのは、生活空間を清潔にしておく、つまり秩序だった空間に維持することを目的にしているでしょう。片付ける習慣をつける意味もおそらくあるはずです*7

 

 「食事の前にいただきますと必ず言う」というルールには、宗教的慣習的ニュアンスがありますね。そこに、食物に感謝するという意図があるのはみなさん知っての通りですが、小児がそういった意図を知りながら、そうしたルールに従っているかと言われれば、おそらくそうではないでしょう*8

 

 次に校則に移ります。

 

 遅刻の存在は、集団行動を余儀なくされる学校生活においては致し方ないことでしょう。一人の遅刻は全体の動きを止めかねませんし、登校時間が定められていなければスケジュールを組むことも難しくなります。「高校生程度なら主体性も備わっているだろう」という意見についてはデータが無いのでお答えできかねますが、学校が社会へ人間を送り込むシステムである以上、小中高にはあって然るべきルールだと考えます。

 

 また試験の不正行為というのは、公平公正を保つためには絶対に許してはならないことです。例えば高校では、その不正行為で誰かの推薦が消えてしまったなんてことになれば洒落になりませんし、中学校では評価が入試に直接影響します。多くの人が公立にあがる小学校は、その予行演習といえましょう。入学試験本番は論外です。絶対に許容してはなりません。これは間違いなく皆さん同意してくださるでしょう。

 

 そして、「信号は守らなければならない」は、安全上当然のことです。赤信号で横断歩道を渡れば、死んでしまっても文句は言えません。

 

 法律については言わずもがなでしょう。

 

 以上のように、ルールは全体の公平性や、個人の利益のためにあるのですが、興味深いのは、ルールは決して鵜呑みにしてはならないということです。

 

 該当ツイートは削除されているようなので直接引用はできませんが、一年ほど前、赤信号で横断歩道を渡ったことを、「人間が信号のためにあるわけではない!」といった趣旨の文言とともに堂々とツイートした、大阪大学大学院の刑法教授が炎上したことがあります。

 その内容はたしかに反感を買うもので、私も感情的には少しムッとしましたが、「法律に盲目的に従っていてはいけない」というごく一部分のメッセージを抜き出せば、それは頷けるものです。

 

 ルールには根拠が必要です。そのルールが本当に正しいのか、存在する意味が本当にあるのかなどは、普段から考えねばならないことです。

 

②罰則について

「まだシャドバの話にならないのか! 勘弁してくれ!」という方、申し訳ない。ですがこれも必要な話なので、もう少し辛抱してください。

 

 ルールがあれば、罰則があります。なぜなら、罰則がなければルールを強制的に人々に守らせることができなくなるからです*9

 

 法律でいえば、それこそ先ほど挙げたような、殺人罪への死刑や終身刑などが罰則にあたります。校則でいえば、不正行為への停学・退学処分などがそれです。

 家庭内なら、よく海外コメディーでは門限を破った子に対して「一週間外出禁止!」など親が言い放っているものですが、まあそういった類ですね。

 

 こうした罰則は、禁止された規定を侵させないための抑止力となっています。

 

 ところで、こうした罰則に共通点があることにお気づきでしょうか。

 

 そう、それは権力です。

 

 法律の罰則規定を実行するのは、裁判所といっていいでしょう。刑事裁判では、彼らは裁判を経て罪を精査し、論理的に然るべき罰を被告人に加えます。裁判所というのは、司法という巨大な権力です。その決定には、多くの場合従わざるをえません。

 

 校則を侵した際の罰則は、学校が加えます。この場合、退学という処分が一般的に考えて一番重い罰になるでしょう。そしてその学校という組織もまた権力です。そこに所属している以上、多くの場合その権力の決定は絶対です。

 

 家庭内ではどうでしょうか。この場合、を権力の持ち主とみなせるでしょう。親は上記2つのような罰を頻繁に与えるわけではないでしょうし、家庭によっては完全に放任であるとか、逆に親が厳しくてなんでも口出しをしてくるとか、様々な差異があるでしょうが、親を権力とみなすこと自体に不思議はないと思います。

 もちろん、子は望んでそこに生まれ出たわけではないので、親に権能を与えるのは無理があるとおっしゃる方もいるかもしれませんが、家族は少なくとも成人の手前辺りまでは同居するでしょうし、同じ生活集団にルールが生まれるのは当然のことで、その強制力もどこかにある必要があるのです。そして、その強制力は保護者に帰せられるのが合理的でしょう*10

 

 このように、罰則を遂行するとき、その組織には権力が存在しています

 

 ではなぜ、権力が必要なのでしょうか。

 

 その大きな理由の一つは、復讐を防ぐためです*11

 

 法律の大原則の一つに、自力救済禁止の原則というものがあります。

 

 自力救済とは、司法手続(裁判とか)を経ずに、自らの実力をもって権利の回復を図ることです。

 

 例えば、貸したお金がいつまで経っても返ってこないから、力づくで相手方の財物を奪い取るとか、家族を殺されたから、殺人犯を殺してやるとかがそれです。

 

 こういうものは、世間一般には復讐と名付けられています。

 

 復讐は簡単にスパイラルに落ち込みます。

 それを防ぐためには、公権力が絶対的で強大な力を持ち、個人の代わりに報復を行うことが必要だと、先人たちは考えたのです。

 公権力への復讐は個人単位では不可能ですし、そもそも、社会機構の中に囚われている人にとっては、公権力への復讐など思い浮かびさえしないでしょう。自力救済の禁止は、そういう意味で理にかなっているのです。

 

 

③シャドバ界隈への適用

 さて、お待たせしました。シャドバ界隈に少し目を向けてみましょう。

 ルールと罰則をめぐって揉めごとになるケースは今までもいくつかありましたが、そのうち、Rov、VOPの2件を考察してみます。

 

 まずはかのRovの騒動。私が把握している限りの詳細は冒頭の脚注を参照してもらいたいのですが、この騒動では「そんなことで除名していいのか」など、除名の条件をめぐっての批判が数多く巻き起こりました

 

 説明するまでもないと思いますが、除名というのは、アマチュアチームがそのチーム内からメンバーを追放することです。

 

 これは、先ほどの例でいう学校からの退学処分と条件が類似しているといえます。「入学した時点で校則には同意いただけますよね? 順守していただけないのなら罰則を与えて守らせるまでです、気に入らないのならやめていただいて結構」ということです。基本的には、その姿勢は間違ってはいません。

 

 ですが、Rovの件で、件の訴えを目にした人の中では、おそらく誰も、「上の決定だから従え」と主張するものはいなかったでしょう(そう信じたい)。

 片方の主張だけでは意見ができないとする慎重論か、話し合いが足りなかったのではないかといった分析、タメ語といってもかなり酷いものだったのではないかなど想像力を働かせた憶測が大多数だったはずです。

 もし訴えが事実ならあまりに理不尽であると、誰もが思ったからでしょう。

 

 除名というのは誰がするのか、といえば、みなさんは「リーダー」とか、「運営している連中」とか、そういう風に答えるでしょうが、しかし、それは単なる実行者の名称であります。その除名という効果を発動させるのは、ルールであるはずです。そしてそのルールが納得のいくものでない、すなわち非合理的なものであるならば、それは無効とすべきでしょう。

 

 ところで皆さんの中には、「他所のチームは他所のチームだ、口出しすべきではないのでは?」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、それは違います。そういった立場を相対主義といいますが、それには限界があるのです。

 

 たしかに、ウチはウチ、他所は他所としてしまえば楽なのは間違いありません。他人を批判する必要がなくなるうえ、他所から批判される恐れも消滅するのですから。

 

 しかし、例えば国同士では、他国は日本の死刑制度やクジラ漁を問答無用で批判します。死刑制度は我々の価値観からすると少し理解しづらいところがありますが、未開の民族が惨い拷問を行っていることを想像すればいいのかもしれません。もしそうした事実があれば、我々は人道主義の名のもとに、それを止めざるを得ないでしょう。また、クジラは地球の海洋資産のひとつで、数が少なくなっているとなれば、日本は文化の一点張りで主張を通すことはできません。

 

 すなわち、相対主義では説明しきれない、普遍的要素も存在するということです。このように、相対主義は万能ではないのです。

 

 さらに言ってしまえば、先ほどから何度も申し上げている通りルールは合理的意義をもっていなければそもそも存在できないので、Rov運営側はこのとき、タメ語で発言してはならないというルールの存在理由を少なくとも当人には説明しなければなりませんでしたし、また、タメ語で良いと当人に言ったのにも拘らず、除名を行ったその訴えの真偽と、その判断理由も述べねばならなかったでしょう。

 

 結局、Rovは解散してしまったわけですが、この件を見てなのか以前からなのか、チームの公募に「除名条件」を載せるところがいくつか見受けられました。「応募の段階で除名の話をするのか!?」とも思ってしまいましたが、明文化によって不安材料を取り除くことはたしかに重要でしょう。ルールを理解してもらい、それから加入してもらうことで遥かにトラブルは減るはずです。もちろん、権力(=運営)がルールの上で権利を行使する前提でですが。

 

 ただ、私個人としては、除名というアマチュアチームの中では最も重い罰則をもたらすルールが合理的であったとしても、それは最終手段に留めておくべきという立場です。どういうことかといえば、極力様子を見るなり、話を聞くなりして、本人の意志を可能な限り引き出す作業が必要だということです。

 

 たまに、自分の世界の中で暮らしていて、それを外界にも投影してしまう人と遭遇します。おそらく無意識的に、他者の人格を決めつけてかかる人たちのことです。ドラマの記者などで、「〇〇さんは非常に苦労されてこの偉業を達成されたと思います、その途中で、辛かったことがあったでしょう、そのことについてお聞かせください」とかいったセリフがありますが、それです。一度判断を中止し、留保して、本当にそうか捉えなおす作業が欠けているのです。私はあなたではないし、あなたは私ではない。「あなたの気持ち、私は分かるよ」なんてことはあり得ないのです。

 

 さてVOPの問題に移りましょう。この件で問題になったのは、不正という行為そのものと、運営およびチームの機能についてでしょう。

 

 当然、不正は絶対に許されてはならない行為ですし、永久追放も視野に入れて考えるべき問題です。

 ですが、本人はこれからもシャドバを続けていくといった趣旨の発言をし*12、運営は不正の事実を公表する際、躊躇いがあったことをわざわざ付言したりと、首をかしげたくなるような発言をし*13、本人の所属するVOPは彼を除名せず、そのまま在籍させることを表明しました。

 

 私は正直驚きました。このまま彼は界隈に居座ろうと思っているのだろうか? 非公式アプリとはいえ、事実として実力の指標の一つとなっているRatingの運営がこんな態度でいいのだろうか? チームVOPが不正者を罰しないとするなら、その不正はチーム認可の行為とみられてもおかしくないが、それでいいのだろうか? そういった疑問が湧き上がります。

 

 同じような疑問を抱いた人は少なくなかったようで、まばらに声は上がりました。ですが、これも驚くことに、不正問題の炎上はRovの除名騒動より規模の小さなものだったのです*14

 

 大げさに聞こえるかもしれませんが、私はこの界隈はやっぱり駄目だったかと、幻滅せざるを得ませんでした。巷で騒がれる、二股とか、炎上商法と比べれば、遥かに危機感を覚えなければならない話題だと思っていたのですが。

 

 とにかく、私の立場は不正は断固として許してはならないというものです。試験のカンニングが駄目だと理解してるのに、非公式アプリのトス行為は許されるなどいうダブルスタンダードが通っていいわけがないでしょう。

 

 しかし、それでも擁護派が存在したとは、信じがたいことです。

 

 多かったのは、「不正は確かに許されることではないが、彼は実力を持っており、不正をせずとも首位をとれる力があった。彼を罰するのはやりすぎではないか」というものです。

 ここにはまさしく、実力至上主義の弊害が顕著にあらわれているといえます。つまり、彼らは、実力者がいなくなるのは勿体ないだとか、そういった理由で本人を擁護しているのです。ですが、不正を行ったものに実力があろうとなかろうと、不正は不正です。つまりルール破りの事実は変わらないのです。そこに罰則が伴わないわけにはいかないでしょう。

 

 「もうBANを食らった時点で制裁は食らっているし、これ以上非難を浴びせる必要はないのではないか」という意見もあったと記憶しています。

 たしかに、不正者*15はランキングから名前を削除されたのであって、その意味では制裁は加えられているのかもしれませんし、非難のなかでも罵詈雑言に近い類のものはただ自己満足で事件に便乗しているだけに過ぎず、許されません。ですが、一度不正を行ったプレイヤーが、すぐに復帰してまた競技に参加することがはたして許されるでしょうか。そして、みなさんはそれを看過できますでしょうか。客観的に言って、否でしょう。 不正者が自主的に活動を辞めないのであれば、何かの強制力が、彼を止める必要があると考えます。

 

 また、もう一つ、「彼を叩くのはやめよう、私刑は許されない」という意見もありました。たしかに、「叩く」が「罵詈雑言を浴びせる」という意味であればそれは同感だといえますが、「叩く」が「批判する」の意であれば、それは言論封殺に近い主張です。私刑という単語を使っているので前者だと解釈しますが、するとここで疑問が生じます。私刑が許されないというのは、先に述べた自力救済禁止の原則を示しますが、では一体、何が彼を罰するのでしょう?

 

 思い浮かぶのは、当のRating運営、VOP、シャドウバース運営、司法です。ですが、運営は不正者を擁護しており、一番その役目を期待されるVOPは然るべき処置をとらず、シャドバ運営には干渉する責任はありませんし、司法はまず法律にあたる要素を見つけられませんので動くことは当然ありません。

 

 困りました。状況を打破する権力が、どこにも見当たりません。

 

 

④シャドバ界隈における権力

 

 以上のように、自浄作用がきちんと働かないとすれば、クリーンな競技環境を整えていくことはこれから難しいでしょう。では、どうすればいいか。

 

 権力を作れば良いのです。個々のチームよりもう一段階上の権力があれば、トラブル解決に一役買うでしょうし、問題が起こることへのストッパーにもなり得ます。

 

 以下は、私が一年ほど前にふと思いついたはいいものの、実行するには程遠いと感じ、声を上げるには至らなかったものですが、この際提案してしまおうと思います。

 しかし、私はこれが実現できるとは思っていません。ただ、「こんなのがあればいいのになあ」という私の妄想だと思って読んでいただきたいです。

 

 さて、権力の樹立に必要なものは、おそらくマチュアチーム構成員全員の同意です。社会契約説みたいなものを想像してもらえればいいのですが、しかしそれは困難でしょう。

 

 ですが、アマチュアチームのリーダー全員に声をかけるのであれば、それでも困難は困難ですが、不可能ではないはずです。労力はかなりのものになりますが。そうしてアマチュアチームのリーダーに同意を得れば、それはすなわちその構成員からの同意を得たことになりましょう。

 

 そうした後、アマチュアチームのリーダーを集め、一つの組織を作り上げます。名前は何であっても良いですが、とにかくその組織が権能を持つこととなります。

 

 その組織が持てる役割は、トラブルの対処です。通常時、その組織内での雑談は行われず、あくまで公の場としての機能を持ち続け、そしてトラブルが発生し、その当事者間では問題解決が難しい場合には、組織が持ち込まれた問題に対して仲裁を行うのが理想です。

 

 ですが、組織内には、現在星の数ほどあるアマチュアチームリーダーが所属することになり、それ全体の多数決等による意思決定はかなり難しいものとなります。ですので、立候補で募った数人を代表として位置づけ、いくつかの任期で交代を繰り返すことことが最適な手段になるでしょう。

 

 つまり、私の思い描くイメージは、少し壮大ですが、国際連合のようなものです。全員が同意して加盟すれば、安全も図られ、また界隈のイメージをこれ以上低下させることも防げるはずです。

 

 もちろん、それ以外の役割として、対抗戦の募集などを行ってもいいかもしれません。先ほど述べた通り、雑談を行えるような雰囲気は避けたいので、何か掲示板のようなものを作り、簡潔なやりとりで対抗戦の日取りを決めると良さそうです。また、突発的な対抗戦であっても、ほぼすべてのチームに同時に声を掛けられるわけですから、開催の目途も立ちやすくなるでしょう。

 

 ただ、問題点は山ほどあります。

 

・権力が十分な強制力を発揮するためには、ほぼ全てのチームの加盟が必要

・チーム全てに声をかけることが困難

・アマチュアチームの中には加盟に十分なメリットを感じないところもある

・権力機構を作る意味を、全員にきちんと理解してもらう難しさ

・仲裁の決議に不備がある可能性

Twitter利用者の大半は学生で、十分な議論が交わされない可能性

・権力自体がルールを無視し暴走する可能性

・遊びに社会性の強いシステムを取り入れることで生まれ得る重苦しさ

・ 界隈に認知され権力として根を張るまでに途方もない時間がかかる

……などなどです。もっと考えればさらに出てくるでしょう。

 

 念のため繰り返しますが、私はこのアイデアが現実になるとは思っていません。ただ、もし誰か、界隈で発言力を持つ何名かが協力して、この考えをさらに具体化し、全体に呼びかければ、実現することも無きにしも非ずかもしれません。このゲームがこの先も続いていく前提での話ですが。

 

 

 

 さてみなさん、本稿で私の言いたかったことをまとめます。

 

①ルールは鵜呑みにしてはいけない

②罰則には権力が必要

③不正は断じて許してはならない

 権力の不存在

④権力機構樹立の提案 

 

 

 また、もう一度、念には念を入れて記述しますが、この記事は界隈の過去の問題を改めて考えようという趣旨では全くもってありません

 上にまとめたものが、この記事の主題であります。

 

 では、ここで書いた部分のどこかが、誰かの役に立てば幸いです。

 

 

*1:シャドバ界隈とは、インフルエンサーであるシャドバ実力者を中心としたTwitterコミュニティのことを指す

*2:Rovメンバーが数枚のスクリーンショットとともに「タメ語で話しただけで除名された」とツイートしたことを発端とする騒動。多くの批判が巻き起こり、Rov公式アカウントが声明を出すも焼け石に水。他何名かの脱退を経て、Rovはとうとう解散に追い込まれた。

*3:VOPメンバーの一人が、非公式アプリ「Rating for Shadowverse」の2pickランキングから突如削除。混乱の中、彼が不正を行っていたことが運営によって発表されました。それを受け、そのVOPメンバーは謝罪。しかし、その内容は不正という行為の謝罪にしてはフランクで軽く、またこれからも頑張っていく旨が表示されていました。さらに、不正行為については運営が発表するまで自白しなかったこともあり、物議を醸しました。そのうえ、問題となったのは運営の態度とチームVOPの対応です。運営は彼を糾弾するどころか、肩を持ち擁護するようなツイートを重ねました。これに対しては、不正を許してはならないはずの立場である運営がその態度なのはいかがなものかとの批判が見受けられました。VOPの対応というのは、不正したメンバーを除名等処分せず、お咎めなしでチームに在籍させたことです。これは後ほどリーダーの独断であったことが表明されましたが、これも非難に晒されると同時に、チームぐるみで不正をしていたのではないかなど、様々な憶測も飛び交いました。この騒動は不正をめぐるもので、何名かのインフルエンサーも言及していましたが、しかしあまり話題にあがっているようには感じられませんでした。声の大きい人物の多くがその不正をしたメンバーの擁護に走っているのではないかなどの推測もありましたが、とにかく話題に上りませんでした。しかし、火は消えるわけではなく、最終的にはVOPは改めて声明を出し、チームで話し合った結果解散を決めたと発表しました。

*4:そもそも、なんなら一生オリジナルの考えというものにはたどり着けないとも思ってます……

*5:16-17世紀、イギリスの哲学者。イドラという概念で有名ですね。

*6:刑法119条

*7:そうしてみると、社会を中心に家庭が回っているといいますか、家庭内に社会が侵食しているともいえそうですね。

*8:このように、ルールを守ってはいるがその意図を知らない状態は大人にもあり、これは少し危険に思います。たとえば著作権Twitterではしょっちゅう飛び交う単語になりましたが、その目的・趣旨(著作権法第1条参照)というのは文化の発展にあり、それを知っていればもう少し議論に深みが生まれるような気がするのです。

*9:無敵の人というのが一時話題になりましたが、彼らに対してはこうした罰則は無力です。そこへの対策もあればいいのですが、困難でしょうね……

*10:この記事を理解していただけたなら、この部分が虐待を肯定するものではないことが分かっていただけると思います

*11:これこそ完全に蛇足ですが、『暴力と聖なるもの』(ルネ・ジラール著、古田幸男訳、1982、法政大学出版局)は、冒頭で復讐、刑罰、供犠の関係について述べています。供犠はそもそも暴力の連鎖を止める役割をもっており、それは現代の死刑制度にまで受け継がれているのだ、というのが概要だった、と記憶しています。図書館で借りたのですが、2週間で読み切るにはあまりに内容が濃く、挫折してしまいました。また読む気が起きたら読んでみます。また、これを参考に書かれた『エロティシズム』(ジョルジュ・バタイユ著、酒井健訳、2004、ちくま学芸文庫)も面白いので是非。

*12:シャドバを続けること自体は、もともとシャドバが一人対不特定多数からランダムに選ばれる一人と戦うという性質をもつため問題ないかもしれませんが、「今後はまた誠実な態度でShadowvereseを楽しみたいと思います。」と呟くことは、反省の色が全く見えないと言わざるを得ませんし、本人が罪の重さを自覚していないと判断されても文句は言えない内容だったといえましょう。VOPが解散し、また相当な非難も浴びたでしょうから、追い打ちをかけるようなことを言うのもどうかと思いましたが、当時の状況を残す意味でも記述しておくことにします。

*13:いな@GameBox (@yuki_inaba44) からの引用「非常に悩みましたが、2pickレートの件について情報開示します。」(画像添付)(2019/2/25)、「レートアプリを開発したのは、シャドバプレイヤーが活躍できる場を増やす為であって、減らす為ではない。今後もし彼がRAGEやJCGで活躍したらそれは素晴らしいことで、賞賛されることだと個人的には思っている。」(2019/2/26)

*14:主観ですが、たしかに発言数やTLへの話題への上り方は、不正問題のほうが少なく感じました。同じような発言が、数人からあったことは確認しています(彼らも主観であることは変わりありませんが……)。

*15:不正者という日本語はないようです。ここでは不正を行った者の省略形として使っています。