とらじぇでぃが色々書くやつ

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おすすめボカロ曲、「不完全な処遇」

 

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うえむら先生(Twitter:@uemula)のサムネイル。

 コロナウイルス。最初は「風邪とどう違うん?」と私も思ってましたが、今は状況も変わり、そうも言ってられなくなりました。少し前とは打って変わって街は閑散とし、学校は始まらず、12枚100円で買えていたマスクも消え、人々は監視し合う……。H5N1型みたいな致死率の高いウイルスでなくてよかったかもしれない、と思う一方で、社会への打撃はこのコロナウイルスのほうが大きいのではとも感じます。私は先日コンビニバイトも辞めてきました。家にいないと死ぬくらいの気持ちでいるので。そして毎日ゲームしてます。はい。
 

 それで、無理やり本題に行くのですが、こういうとき、ボーカロイド曲を聞きたくなりませんか? ぼくはなりませんけど

 そこで、オススメできるボカロ曲が一つあります。千本桜とか、弱虫モンブランとかみたいなめちゃくちゃ有名なやつじゃないです。みんな知ってるのを勧めても意味ないですもんね。マイナーだけれど知ってる人は知ってるくらいの曲です。

 その名も「不完全な処遇」。私が中学生くらいの時に出会った曲です。だからだいたい六年前ですね。けっこう経ってるな、と今驚きました。なので、私のこの曲に対する感想には、思春期補正が少しかかっているかもしれません。中高生の時に聴いた曲って、成人してもずっといい曲に聴こえるって聞きますし。だから私が今初めてこの曲を聴いて、めっちゃいい曲やな!と思えるかは分かりません。そう思うと信じたいですが。

 でも、一回聞いてみてください。下にリンクを貼るので。もしかしたら、良さが分かってくれるかもしれません。

 

 私は音楽理論はよくわかりません。なので専門用語を用いて論理的なことを言う、とかはできませんが、ふんわりした感想なら書けそうです。

 

 音楽のどこが好き? と尋ねると、その答えのたいていは「音」という聴覚の要素と「歌詞」というテクストとに二分されます。しかし、素人ながら思うに、音楽はそれだけではありません。その曲にとってはミュージックビデオ(MV)も大切な一構成要素なはずです。つまり視覚の要素。その曲にとって必要だから、MVはついているのだと私は思います。

 だから、感想はその三つについて書きます。

 まず音、聴覚の要素。

 思うに、サビの思い切りの良さはこの曲の一つの特徴です。

 まず、Aメロは低い音で入ります。ボカロ曲は往々にして高くなりがちですが(歌手の音域という点で創作の限界が無いため)、この曲は全体を通して多くのボカロ曲と比べてもかなり低めです。つまり人間が歌える高さです。そしてこのAメロは男性でも人によっては出し辛い音域に差し掛かる低音域で展開されます。そしてそれもあってか、GUMIの調教(調声)も、どちらかと言えばなんだか陰鬱な印象を私たちに与えます。どこかやる気の無いような、生気を失ったような。歌詞の体言止めもあり、淡々としたリズムでAメロは進行していきます。

 しかし二度の暗いAメロを抜けてサビに入ると突然、英語歌詞を皮切りに、メロディが高くなります。GUMIの声も明るく、叫ぶような調教になる。この高低差。メロディとそしてムードとの高低差が、心にグッとくる。

 その後は、まるで抵抗するように、最初の暗いメロディと暗い調教は登場せず、次々と別のメロディがやってきて、あれよあれよとまたサビに帰ってくる。あっという間の3分半。

 みなさんの中には、ギターに惹かれる方もいるかもしれません。途中のソロはたぶんかっこいいやつです。

 

 次に歌詞、テクストですが、意味内容を見ると、この曲はやはり若者に向けて書かれていることが実感できます。

 まずAメロは、思うに中高生にとってのおどろおどろしい世間の表現です。そこからはカオティックで厭世的な、ペシミスティックな印象を受けます。たとえば、「革命」「闘争」「乱セ(=乱世?)」「乱舞」は混乱を想起させ、「男女」「ピストン」「誕生」「股」などはエロティックな生々しい生を想起させます。中高生はたとえば次のような悩みを抱きがちです。社会に出たらどうなるのか。大人になるとはどういうことか。心の中ではその不安の虚像が立ち上がってきて、押しつぶされそうになる。だから押しつぶされないように、少年たちは考えることをやめてしまう。そうして、GUMIは冷めたように、諦めたように歌う。

 しかしサビでは問いかけが始まります。「なぜあなたの大胆な芽は佳麗に止まって魅せた?」という問いかけです。この歌詞もまた綺麗で私のお気に入りなのですが、なぜ綺麗かといえばそれは和の精神にかなっているからだと思います。完成せず止まる。「いき」と言うのでしょうか。完璧の前で止めてしまう、それが「魅せる」ことになる。しかしその歌詞は「なぜ」と問います。私はこれを皮肉ととりました。それでいいのか、とそう尋ねるのです。尋ねるのは誰でしょう。親でしょうか。友だちでしょうか。それとも無意識でしょうか。それはともかく、答えるのはおそらく聴いているあなたです。

 そしてこのサビからは、先ほどの外界から人の内面へと話が変わります。

 なぜなら、その後からAメロには無かった心情に関する主観的な単語が登場し始めるからです。「後悔」「臆病」「良心」「好奇心」「欲望」などなど。つまりここでも、先ほどの聴覚の要素と同じく、Aメロとそれ以外とで対立が見られることが分かります。

 これら心情を描写する部分では、「しがらみのない 好奇心をときはなて」といった非人称であるアンチ・ペシミスティックな問いかけ及び命令と、恐らくあなたを想定している「死神の夜を 楽しみたいだけ」といったメランコリックで陰鬱な諦めの感情との衝突が繰り広げられます。

 中学生当時、この曲を聴くとなんだかニーチェを読んだような高揚感を覚えましたが、解釈してみるとそれも合点がいくなあ、と思いました(小並感

 

 最後に簡単にMV、というかサムネイルについて触れます。私はこのサムネイルに惹かれて聴き始めたクチなのですが、やはり今見てもこの方のイラストはいいですね。

 イラストでは、おそらく山中の田園である場所に、怪獣やらUFOやらメカやら戦闘機やらがごった返している。そしてそれを背にして、前面に女の子が小さくピースしている。

 ピース、というのが少し引っ掛かりますね。このイラストに何かしらの違和感を持った方は多いと思うのですが、その正体はたぶんそのピースです。

 ピースって、普段しないですよね。する場面と言えば限られます。写真を撮る時です。それ以外の場面ではピースなんて基本しません。するのはマンガやアニメのキャラクターくらいです。

 だから、このイラストの女の子も写真を撮っていると考えるべきです。しかし、背景にしているのは明らかに異常な光景です。恐ろしい怪獣がいて、しかも戦闘機による爆撃も行われている。そんな中で写真なんて普通は撮れるわけありません。危険すぎますから。

 しかし、女の子は怖がることなく、普通に写真を撮っている。彼氏に写真を撮ってもらうみたいに少し顔を赤くし、控えめにピースして。なぜそんなことができるのか。考えられるのは二つ。危険が無いか、慣れているかの二つです。前者はたとえばこの光景がプロジェクションマッピングである場合。後者はそのまま、ありふれた光景すぎて、危機感が薄れている場合です。しかし前者はあまりに味気なくメッセージ性に欠けますから、後者で読むのが妥当でしょう。

 女の子は怪獣たちに慣れきっているから写真も撮れたわけです。でも、テンションが上がっているわけでもない。ピースは控えめで、顔も少し笑う程度です。女の子は、特にこの怪獣たちが好きというわけではないのでしょう。

 ここでメロディと歌詞に照らし合わせてみると、おそらくこのイラストの怪獣や戦闘機の類は、Aメロの外界だろうと思います。これだけ様々な巨大生命体が集まっていれば、それはカオス以外に言いようがありません。そしてそのカオスは、ありふれた田園風景にまで侵食している。

 女の子がこれらを背にして写真を撮ったのは、もしかしたら好奇心からかもしれません。少年少女の外界への感情は、「覗きたいけど行きたくない」といった微妙なものだと思うので。

 

 

 以上、思ったことを書きました。直感的に言ってもすごくいい曲だし、こうやって考えてみると深みの出てくる、とても素晴らしい曲だと思います。みなさんも好きになってくれると嬉しいです。