とらじぇでぃが色々書くやつ

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サロメ嬢とスーパーチャット 〜仕事と遊びの間で〜

にじさんじにデビューした新人、壱百満天原サロメ。様々な原因が複合的に作用した結果、彼女は大人気VTuberに一躍仲間入りした。今の登録者数はおよそ80万人。このままのペースであれば、あっという間に100万という大台にも乗ってしまうことだろう。

本稿では、なぜ彼女がこのような躍進を遂げたのか、というマーケティングに関わる話には踏み込まない。そのような話は誰でも出来るし、実際多くの人がこれから分析を繰り出していくだろうから。

本稿で考えたいのは、VTuberという仕事についてである。

VTuberには、企業がバックにつく場合があり、私たちはそれを「企業勢」や「企業VTuber」などと呼ぶ。その反対である「個人勢」とは対照的に、彼らには利益を出すことが求められている。雇用者が、雇用主の利益となるよう働くのは当然のことである。それが雇用関係というものである。VTuberの場合は、企業所属の場合、個人事業主扱いで活動するパターンも多々あるようだが、しかしそうした企業とVTuberの関係は、雇用-被雇用の関係に読み替えても特に差し支えないだろう。

そうしたVTuberを、「仕事としてのVTuberというモデルとして扱おう。客観的に見て、彼らの最大の目的は、利益を創出し、それを企業に還元することである。彼らはそれをもって、事業を拡大させ、ライブ(配信という意味ではなくコンサート等演目としてのライブ)などを行う。それが場合によっては、「感動」を生み出す。

あるモデルを提示したならば、それに対比させるモデルが必要であろう。それは、「遊びとしてのVTuberである。彼らは、利益など度外視する。VTuberは、利益の創出手段というよりは、自己表現の手段である。彼らは、例えば中高生がラノベを書いたり、コミケで同人誌を売ったり、主婦がフリーマーケットで自作のネックレスを売ったりするように、VTuberで必ずしも大きな利益を出そうとは考えていない。むしろ、考えているのは、自らの楽しみについてである。

ここでいう楽しみは、快楽(pleasure)に質が存在するとすれば、高級なものである。つまり、何かを食べること、睡眠をとること、性欲を満たすことなどではなく、知的・人格的発展に基づくものである。自己を表現することは、生理的欲求を満たす以上の快楽を発生させるように私は思う。しかし、たとえ読者がこれに賛同できなくても、ここでいう楽しみが、自己を発展させることに由来するのだということさえ理解してもらえれば良い。

もちろん、仕事としてのVTuberにも、こうした楽しみはあるだろう。利益を創出するとは言っても、VTuberの成功は基本、本人の人格的な発露にかかっている。しかしながら、目的がどこにあるかという観点においては、やはり両者は異なる。仕事としてのVTuberが利益を目的とするのに対し、遊びとしてのVTuberは、その楽しみそれ自体を目的とするのである。

では、この両者は互いにどのような関係にあるのか。仕事としてのVTuber(以下WVT)は、今述べたように、遊びとしてのVTuber(以下PVT)とは目的の点で一線を画する。しかし、その過程/手段については、両者を見分けることは難しいだろう。というのも、VTuberはコンテンツの発信者であるから、その発信過程においては受容者をやはり意識しなくてはならない。だが、その意識の程度は主観的なもので、傍目には判別がつかないのである。たとえば、WVTは、利益を創出するために、ファンにもっと受け入れられるあり方を模索するだろう。他方、PVTは、自己を表現し、それによって悦びを得るために、なるべく自らの思想に反しない形で、ファンの理想像との擦り合わせを行うだろう。ここでは、WVTはなるべくファンの理想像を取り込もうとする一方で、PVTは自らの楽しみを優先する点から、なるべくPVT自らが意識する人格と、ファンが理想とする人格とが折衝されるよう計らう。しかしながら、客観的には、そのVTuberがこのどちらの方針を取っているかは分からないことが多い。なぜなら、多くのVTuberは、中の人を秘匿するからである。中の人が秘匿されるなら、その中の人の人格がどの程度ファンの理想によって捻じ曲げられているのか、我々には知りようがない。

ゆえに、WVTとPVTという区別は、あくまで客観的に知り得る目的による。だから、例えばホロライブ所属の常闇トワはWVTである、などとは自信を持って言えるのである。

しかしながら、PVTなどというものは、真に存在するのだろうか。VTuberは、基本的にYouTubeで活動する。YouTubeは、Googleが運営するプラットフォームであり、利益を生み出す場である。動画を再生すれば、しきりに広告が流れ、それを止めようと思えば金銭を要求される(しかも月あたり1000円を超える額だ)。その広告収入は、もちろんGoogleにも入っているが、場合によっては、その動画の投稿者の懐にも入る。読者もご存知の通り、それゆえに、YouTuberや VTuberが成立しているのである。

すると、収益化したVTuberは、全員WVTと言えるのではないか、という問いが頭をもたげる。つまり、たとえ企業勢ではなくても、全ての収益化したVTuberには、Googleという大きな雇用主がいて、それにVTuberは利益を還元するよう働いているのだ、という捉え方である。これは、ある意味で間違ってはいないが、WVTの定義からすると微妙かもしれない。WVTで想定していたのは雇用-被雇用の関係、すなわち、利益を出さねばクビになる関係である。その点、Googleはあなたが利益を出さなくても困らない。あなたが遊んでいようが、ルールを破らない限りは放っておく。

つまり、収益化したVTuberがWVTといえるのは、VTuberの他に職がない場合である。しかし、繰り返しになるが、VTuberは中身が秘匿されている場合がほとんどである。昨今は、プライベートを公にする、あるいは実際の生身をカメラに写すなどして人気を博するVTuberも存在する。その場合、彼らがPVTであるかWVTであるかは判別できるだろう。しかし、一般的・伝統的なVTuberは、中身を公開しない。ではその場合、PVTはどこにいるのだろう。

ここまでの議論から、(中身を秘匿するVTubeに限ってだが)PVTは確証的に存在し得ないことが分かる。PVTは、この資本主義社会において、幽霊的である。遊びとしてVTuber活動を行うなどということを、どれだけの人がしているのだろうか。そんなものは、結局存在しないのではないか。仮に存在したとしても、それは資本主義的円環に巻き込まれて、消えてしまうのではないか。

PVTの在り方は、人格の発達を目的とする点で、魅力的である。利益ではなく、あくまでも自らを高めることが目標であるその姿勢は、直観的には人間に相応しいように思うし、功利主義的観点から言っても、WVTのように利益の増進を目的とすることにより自らを殺さねばならないことがあるとすれば、より折衝を試みる余地のあるPVTの方が、擁護可能だろう。

しかし、そのPVTは、あると思っても、あたかもそうであるように見えるのみである。言い換えれば、PVTは、私たちファンの側にある理想である。

ところで、壱百満天原サロメ(以下サロメ嬢)はスーパーチャット(以下スパチャ)を読み上げない方針を打ち出した*1

スパチャをすればお礼が貰えるというのは、「金を払えばサービスが手に入る」という論理であって、非常に資本主義的な思考である。

VTuberでありがちな資本主義的風景としては、VTuberが、少ない配信時間に対してその二倍や三倍の時間をスパチャ読み上げに費やす、あるいは、額が大きければ大きいほど、多大なリアクションを行うといったものが挙げられる。後者は等価交換を内面化している典型例であるし、前者は貨幣の奴隷となってしまっている典型例である。

スパチャの読み上げをしないという方針は、もちろんサロメ嬢は意図していないだろうけれども、PVTの在り方に近いと私は思う。

贈与は、資本主義に対抗するあり方として持ち出されることが多い。贈与は非対称である。あなたが誰かに誕生日プレゼントを贈ったとして、次のあなたの誕生日に、その人がプレゼントをくれるとは限らない。資本主義的思考に囚われた人は、ここでプレゼントが貰えないと、ひどく怒り出す。また、貰えたとしても、値段を調べて、それが自分のプレゼントの値段と吊り合っていないと、やはり憤る。彼らは、そういった贈与こそが、愛を可能にするのだということに気付かない。

スパチャを何故するのか。それは愛ゆえではないのか*2

サロメ嬢の方針は、この意味で非資本主義的である。

ところで、WVTの悪い側面として、コンテンツ受容者に与える悪影響がある。VTuberが油断して、WVTだと露骨に知れてしまうと、つまり、仕事として、労働者として、このVTuberは働いているのだと知れてしまうと、ファンは幻滅する。なぜなら、表向き、WVTは「私たちのために」活動しているからだ。

サロメ嬢は、定義から言って、間違いなくWVTである。なぜなら、彼女はにじさんじ所属であり、ANYCOLORのサポートがあるから。雇用-被雇用の関係は、確実に存在する。被雇用者としてのサロメ嬢の究極目的は、利益増進である。

しかし、サロメ嬢は、それを私たちに感じさせない。

サロメ嬢のほぼ完璧なRPは、もしかすると、彼女の心を蝕んでいるかもしれない。彼女は、自分を殺しながらVTuber活動を行なっているのかもしれない。だが、それは私たちには知り得ないことである。私たちは、VTuberに関して、知っているようで何も知らないのである。

だから、本稿の結論は、次のようである。あらゆるVTuberは、VTuber以外に職がある者を除けば、何らかの意味でWVTである。そして、それは多くの場合知り得ないので、ほぼ全てのVTuberが WVTに該当することになる。PVTは、この世界に実際に存在するというよりは、幽霊的である。PVTは、WVTの中にも、彼/彼女があたかもそうであるかのように見え隠れすることがある。そして、サロメ嬢は、稀有な存在である。なぜなら、その卓越したRPによってWVTであることを上手く隠し、またスーパーチャットの読み上げという巻き上げ行為を控えることによって、あたかもPVT的性格を有しているように見えるからである。

もちろん、卓越したRPを行うVTuberは他にも存在するが、サロメ嬢のRPの特徴は、リアルを感じさせない、あるいはその(本当は)バーチャルなRPが現実であるかのように見える点である。この特徴は、おそらくコラボ配信を一度でも行えば失われるだろう。コラボを通してサロメ嬢に外界が入ってくる、あるいは、サロメ嬢が外界に取り込まれると、WVTであることは隠してはいられない。そこで失墜するのか、さらなる化学反応が起こるのかは、様々な原因によって決定されることであり、これもまた、我々が知ることのできる話ではない。

*1:何かしらの還元を行いたいとも同時にアナウンスしていた、ということは付記しておく。その形によっては、本稿の内容を一部修正しなければならないかもしれない。

*2:私はそもそも、スーパーチャットというただの金銭で愛を表明すること自体に共感できないが。あなたは、封筒に現金を入れてそれを誕生日プレゼントにするのか? もちろん、VTuberにモノを贈ることは大抵不可能だが、それを差し引いても、個人的にはあまり理解ができない行為である。