とらじぇでぃが色々書くやつ

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主にVTuberの記事を投稿中。

シャドバのライトユーザーについて

 

 先日のナーフのときもそうでしたが、ライトユーザーという言葉はしばしばシャドバ界隈で用いられます。

 それに対比されるヘビーユーザーという言葉もありますね。

 

 これらライト・ヘビーというのは課金額・時間など、一つのコンテンツに消費する財産の大きさを指すものだと思われます。

 

 Twitterで、ライトユーザーと検索をかけても、やはりライト・ヘビーは課金額のイメージが強いようで、結びつくのは大抵運営の資金繰りの話のようです。

 

 これらライト・ヘビーの指標をこれから使うとして、もう一つ、別の視点からの指標も導入したいと思います。エンジョイ勢・ガチ勢についてです。

 

 いうまでもなく、その切り分け方はプレイスタイルに依ります。エンジョイ勢はenjoy=楽しむことを目的にしますが、一方でガチ勢はガチ=真剣にゲームと向き合い、勝利を目指すことを目的にします。

 

 それぞれの極端な例を言うと、相当なエンジョイ勢はコンスタントな勝利ではなく独創的なデッキを用い極々低確率で可能な勝ち筋を実行しようとします。

 

 

 一方、相当なガチ勢というのは、そういった瞬間的・爆発的快楽でなく、コンスタントな勝利にやりがいを見出します。

 

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 これら2つが、ゲームプレイヤーをはかるうえでよく使われる指標でしょう。

 

 しかしながら、血液型占いや星座占いで人間を4等分や12等分できないのと同じように、全プレイヤーをこれらの指標で二分するのは無理があります。

 

 ライトユーザー・ヘビーユーザー、エンジョイ勢・ガチ勢という二項対立だけではその指示内容はあまりに広範であって、議論には適していないというほかありません。

 

 ……とはいえ、段階的にそれを名付けてみても切りが無いわけでありますから、この単純化された概念たちをその左右の振れ幅である数直線の中で、ある程度うまい具合に使っていかなければなりません。

 

 それゆえ、以下曖昧な表現があるかもしれませんが、ご了承ください。

 

  そしてもうひとつ、以下ではライトユーザーとエンジョイ勢をまとめてライトプレイヤーヘビーユーザーとガチ勢をまとめてヘビープレイヤーと呼称しますので、それも把握のほどお願いします。

 

 さて、この記事で私が言いたいのは、ライトプレイヤーとヘビープレイヤーに一体どのような認識の齟齬があるかということです。もちろん、さきほど述べたようにこれら単純化にはデメリットもありますので、そこも考慮しながら書き進めるつもりです。

 

 

 まず、それぞれの特徴を述べます。

 

 ライトプレイヤーは基本的にシャドウバースを、俗にいうソシャゲの一つとして捉えます

 

 ソシャゲとはご存知の通り、SNSを基盤にしたゲームのことです。今は意味が拡大しスマホアプリゲームにもソシャゲの名が適用されるようですが、ともかくその特徴は手軽に遊べることです。たとえばパズドラにしても、グラブルにしても、好きな時に始めて好きな時に中断でき、一つ一つのタスクも小分けに、しかも少ない時間でこなせ、さらにほとんどの作業では特段頭で考えることなく成功を積み上げていくことができます。

 

 シャドウバースはこの点対人ゲームである以上、中断の実行はポイントを失うリスクを伴うわけですが、しかし初期シャドウバースはその他の点ではさほど見劣りするものではなかったと思われます。

 レッドエーテルシステムはなるべくソシャゲにお金をかけたくない層にとって革命的に都合の良いものでしたし、サイゲームスのカードデザインなどは他と比較しても突出していた(している)と思われます。それらはオタクの心を鷲掴みにし、新規獲得などにも大いに貢献したことでしょう。

 

 そしてライトプレイヤーはこれら性質を兼ね備えた初期シャドウバースを歓迎するわけです。

 

 彼らのもうひとつの特徴として、ライトプレイヤーに明らかに分類される層——時間もかけずのんびりとプレイし、課金もしないような、やれるときにやろうといったスタンスの人たち——はTwitterを大半がやっていないということがあります。

 

 なぜそう言えるかといえば、Twitterでアカウントを作るというのは、より強くなりたい、勝ちたい、誰かと一緒にプレイしたいなどといった、ある意味シャドウバースへの執着が必要であるからです。

 

 では今現在Twitterに見られるライトプレイヤーは一体何者かという問いが浮上します。「彼らは途中でシャドウバースに飽きたのだ」というのが簡単な答えですが、私が思うには、彼らは飽きざるを得なかったのではないでしょうか。これについては後々触れます。

 

 この一方で、ヘビープレイヤーは初期シャドウバースには不満を持ちました

 なぜなら、彼らはカードゲームらしさを求めていたからです。

 

 カードゲームらしいカードゲーム

 私は他のカードゲームにほとんど触れたことがないためよく分からないのですが、見かけていた話を要約する限りでは、盤面の取り合いが多く、考えることの多い、運ではなく実力で勝負が決まるような、バランスのとれたカードゲームを指すようです。

 初期シャドウバースに対して「エロメンコ」「時間のかかるジャンケン」との揶揄を言い出したのはおそらく彼らの一部でしょう。あまりにも的を得た表現で、私も当時は喜んで使っていたこともありましたが…今となっては昔の話、ですね笑

 

 まあしかし、上のように言っておいてなんですが、初期においては、Twitter上のライト・ヘビーの境目は、外観としてはあまりはっきりしていませんでした。

 

 それはシャドウバースの性質自体がそうさせていたのです。

 では次にそこを見ていきましょう。

 

 シャドウバースの出発点*1は、先ほども触れたように一つのスマホアプリゲームでありました。

 

 無課金でも充実して遊べることが長所としてユーザーには受け止められ、また当時の運営のスタンスもそのようなものであったと考えます。実際、カードゲームとして当然ながら初期はカードプールが狭く、さらに課金先もそのプールの狭いカードパックが主となっており、私の友だちなどは「課金するほうがバカ」というほどでした。

 

 また、これも先ほど言ったようなシャドバの性質の一つですが、初期段階ではそれぞれのプレイヤーにはほとんど差が生じませんでした。ある決まったデッキや決まった動きをすれば勝負が決まるような場合が多々あり、最悪特に何も考えずとも、コストを毎ターン使い切っていれば勝てるといったこともありました。

 

 これはベビープレイヤーからすると、悲観すべき状況に見えます。しかし、ライトプレイヤーにとっては大いに輝ける場であったのです。

 

 彼らにとっての手軽さ、思考すべき要素の寡少などは、彼らの希望に適っていました

 そして、そうしたライトプレイヤーの中で、シャドバに熱中する者は、情報収集のためネットを活用します。

 

 しかし情報といっても、それはおおよそ、流行りのデッキをいち早く手に入れるくらいの目的だったでしょう。

 

 当時はデッキを知ることが勝つことに直結しました

 

 ゆえに、情報を求めるライトプレイヤーが発生したのです。

 

 これが、ライトプレイヤーがTwitterに現れた動機の一つです。

 デッキだけならまとめサイトなどにもあるにはありますが、それらはあくまでもツイートのまとめを行っているだけであり、であれば自身も発信しながら、直接情報を収集すればwin-winではないかと、こういうわけなのです。

 

 しかしながら一方、もとから他のカードゲームに親しんでいたような人々は、これが異様な状況であることを表明します。力の限りをもって、このカードゲームらしくない環境を、カードゲームらしいものに“改善”しろと運営に求めるのです。

 

 しかし努力むなしく、こういった環境は続いていきます。

 

 状況が変わり始めたとプレイヤーが気付きだすのが、おそらくチョイスが実装されたころです。エンハンス、アクセラレートに続く第三の大型ギミックは試合をより複雑で困難な、かつ時間のかかるものに仕上げました

 

 そしてシャドウバースは、ある一定以上の思慮を要求するゲームになったのです。

 

 既にローテーションフォーマットも実装され、いつの間にやら、ライトプレイヤーが喜んで享受していたような環境は去りました。その代わりに到来したのは実力環境です*2

 

 つまり、運営はかの叫びを聞き届け、カードゲームらしいカードゲームに近付ける努力を着実に実行していたのです。

 

 この環境——今のような環境——においては、デッキタイプ・デッキリストは当然の前提とされ、それに加えて繊細なプレイングが問われます。つまり、過程を突き詰めなければ勝利につながりにくい環境になったということです。

 

 ところで、ライトプレイヤーは過程ではなく結果だけを見て、すぐに「運だけ!」と鳴き声を上げると思われているようですが、そういった人が実在するかはさておき、ほとんどのライトプレイヤーも過程は考えます。ただ、そこに多大な時間は注ぎ込みたくないと考えているのです。

 

 彼らの特徴を思い出してもらいたいのですが、ライトプレイヤーの認識というのはシャドバ=遊びなのであって、他のスマホアプリと同じように、苦痛に耐え忍びながら過程などを考えるよりかは、暇な時間をいかに即時的に気持ちよく埋められるかが重要なのです

 

 しかし、シャドウバースは変質し、そういったソシャゲ的性質はかなり薄れました

 

 この今現在をシャドウバースの主張に倣ってeスポーツ時代、初期シャドウバースをソシャゲ時代と呼びましょう*3

 

 eスポーツ化し競技性が高まった今、ライトプレイヤーはシャドウバースに見出していた手軽さを——簡単にカードゲーム感を味わえるといったところに見出していた長所を——失い、Twitterにいたライトプレイヤーというのは、シャドウバースから離れるか、フェードアウトしてしまいます。

 

 なぜならば、重ねて言うようですが、Twitterにいたライトプレイヤーは、ソシャゲ時代における動機(=簡単に勝つための情報収集)によってそこに住まわっていたのですが、しかしeスポーツ時代においては、以前のような情報はあまり重要でなくなり、代わりに「マリガンは○○相手ならこうで、○○相手なら××は残す。○○相手の時〇ターン目にはこれは投げないけど、この手札で〇ppのときは投げる。ただし相手の場に○○があるときは裏目を警戒して……」といった、時間を掛けなければ入手できない(=体得できない)知識・経験が重視されるようになりました

 もはやeスポーツ時代においては、「Twitterにいることによって手軽に勝てる」という公式が通用しなくなってしまったのです。

 

 つまり、ソシャゲ時代は経験なくともデッキリストさえしっかりしていれば簡単に勝てるようになっていたものが、eスポーツ時代においては暗中模索、無限にある選択肢のなか、何も見えない状態で何戦もこなし、ようやくわずかに、わずかに一筋の光が差すような、そういった場が目の前に横たわっているのです。

 

 みなさんのTwitterの交友関係の中で、eスポーツ時代においても変わらずシャドバを続けている人と、シャドバから離れがちになっている人がいる理由は、以上のようなところにあると考えます。

 

 もし、eスポーツ時代にあたって、そういった環境に向き合うことが「当然だ」と言い切る方がいれば、その方は間違いなくヘビープレイヤーに分類できます。

 

 ライトプレイヤーにとってはシャドウバースは暇つぶしの一つだったわけで、彼らにとっては、バハムートを投げその圧倒的カードパワーで勝利するような、あらゆる手間を省いた勝利で十分だったのです。

 

 シャドウバースの手軽さに惹かれていた人たち、言い換えれば、シャドウバースに多くの時間を注ぎ、生活内でのその優先順位を上げることに魅力を感じない人たちは、このeスポーツ時代には嫌気がさすでしょう。

 

 彼らの「シャドバが好き」と、ヘビープレイヤーの「シャドバが好き」は、その意味する内容が異なっているのです。

 

 ここまでの流れで分かるかもしれませんが、私自身はおそらくライトプレイヤーです。

 正確にいうと、ややヘビープレイヤーよりのライトプレイヤーでしょうか。課金は今まで3万~5万ほどしましたし、その意味ではヘビーユーザーですが、しかし時間はグラマス3回ほどで、大してかけていません。

 勝利数も3000ほどで、強者揃いのTwitter内ではかなり下に位置するでしょうから、その意味ではライトユーザーです。しかもシャドバに真剣に取り組んでいるということもあまり無いので、どちらかといえばエンジョイ勢になるでしょう。というわけで、総合的に考えれば、「ややライトプレイヤー」というような表現をすることになります。

 

 さて、先日友人にシャドバのシステムについて、「負けても何か報酬があるならもう少し試合をこなせると思うんやけどねえ」と冗談交じりに言ったことがあります。私はシャドウバースが上手いわけではないし、シャドバに対してかなり向上心があるというわけでもなく、ゆえに下手なのですが、そうすると負け試合も多くなります

 そうしたとき、掛けた時間への物的対価があまりにも少なく、うんざりしてしまった経験があり、そうしたところから出た発想だったのですが、すると友人は「それは甘えじゃない?」との返答。

 

 理由を聞くと彼曰く、負けてもなぜ負けたかを考えるのが楽しいというのです。

 

 分からなくもありません。私にもソシャゲ時代には、どのプレイングが悪かったかと真剣に考えていた時期もたしかにあったのです。

 

 ただそれはきっと、一定の手軽さがあったからこそできたことだったのでしょう。

 

 

 そういったように、ライトユーザーとヘビープレイヤーとの断絶は思っていたよりはあるようです

 

 もう一つ話をすると、たとえばこれもその友人と話したことですが、Twitterでシャドバの引退宣言をすることについて、私は正直不要だと思っていたのです。しかし友人はどうやら、不必要ではないと思っていたようでした*4

 

 私の見解としては、シャドウバースはやはりゲームであり娯楽なのだから、やりたいときにやればいいし、やりたくないときはやらなくていいというスタンスがあって、これはすなわち、引退宣言は自分の枷になるから必要ないという主張を導出します。

 大人しくフェードアウトして、また戻ってきたくなれば復帰すればいいだけの話で、わざわざ公言してけじめをつけるようなことをする必要はないと考えるのです。

 

 一方で、おそらく友人は、シャドウバースを一つの競技として見ていて、サッカーや野球と同じように、継続的な努力を要求するコンテンツとして考えているのだと思います。

 そうすると、第一線にいるプレイヤーなどは特にですが、ある故障やスランプ、またはやむにやまれぬ休止期間などを抱えてしまえば、それはその期間自分に課したノルマがこなせないことになり、その瞬間、他のプレイヤーをけん引したり、あるいは追随したりすることは不可能だと悟るわけで、そうなればその人は自分がそこに居座るに値しないと思い至り、引退を宣言します。

 そういった事情を察知し、あるいは前提とするからこそ、引退宣言は彼らにとって効力を持つのです。

 

 ここで冷笑主義的な感想が頭を出して「熱血的だな」などと言ってしまう人もいるかもしれませんが、しかしそう見えるような要素は真剣そのものだからこそ表出するのです。彼らにとってシャドウバースはもはや、単なるゲームではないのです。

 

 

 こうして話した断絶ですが、それがプレイヤー間に現れるのなら、当然コミュニティ内にも現れてくるだろうと考えます。

 

 というのも、おそらくeスポーツ化の過程で、アマチュアチームのメンバーは大幅に入れ替わったであろうし、またもしチーム内に両者が混在しているのであれば、その衝突は避けられないであろうと思うからです。

 

 チームについては以前の記事で述べましたが、その存在価値は閉じたコミュニティの中で情報交換ができることでした。

 

 しかしeスポーツ時代において、ユーザーがライトプレイヤー・ヘビープレイヤー*5に区別されると、両者にとって必要とされる情報の質は違ってきます

 たとえば前者はなるべく手っ取り早く、あるいは楽しいデッキを、後者は勝率を上げるためのプレイングや○○は何枚入れるべきかといった細かな調整に関する情報を求めるのです。

 

 ライトプレイヤーはヘビーユーザーに不満を感じることはありません。動機が存在しないので当然です。

 

 しかしヘビープレイヤーはライトプレイヤーに不満を覚えることがあるかもしれません。ライトプレイヤーの質問には全員が答えられますが、ヘビープレイヤーの質問にはライトプレイヤーが答えることは多くの場合適いません。プレイの目的、プレイスタイルが違うので当然のことです。

 

 その結果、チームのチャットが過疎状態にあるように見えることも、あるかもしれません

 

 そして、このeスポーツ時代は、チームの在り方も限定的にしていくように思われます。

 

 ここまで話した、シャドウバースをとりまく状況について思い返してもらえれば当然の帰結なのですが、チームは能力向上の、つまりヘビープレイヤー向けにしか機能しえない……というのは言い過ぎかもしれないですが、そういった方向でしか機能しにくくなっていることは確かだと、私は日々感じています。

 

 なぜなら、eスポーツ時代以降にTwitterに集う人間というのは、ソシャゲ時代のような情報ではなく、プレイングなどの情報を求めてくる人が多くなるわけで、その意味でヘビープレイヤーなのです

 もちろん人間関係に飢えてTwitterを始める人もいるかもしれませんが、それでもeスポーツ化したシャドウバースに耐えうる時点で性質としては後者に近いものがあります。

 

 そして、そうした情報の中でも本質的で核心をついたものは閉じられたコミュニティ、つまりアマチュアチームなどでしか共有されないために、そうしたヘビープレイヤーはチームを求めるようになるのです。

 ソシャゲ時代においては、そういった秘匿しなければならないような情報は多くなく、むしろほぼ全員に共通した土台の比率がはるかに大きかったのですが、eスポーツ時代に至ってはその前提部分は比率としてかなり狭まり、個人の練度や、そうした情報がはるかに重要視されるようになりました

 

 そうなれば、チームは能力向上の場以外では成り立ちにくくなります。

 

 ……理想をいえば、私はゆるやかな繋がりを持ったチームも、さらに増えてほしいと思うのですが、しかし上のような背景に目立つのはやはりそういった技能を向上させることを第一目標に掲げるようなチームです。

 そうなるのも仕方のないことかもしれませんが……。

 

 さて、最後にですが、私はシャドウバースに真剣に打ち込む人たちを正直尊敬しています。たとえば私が読書に時間を注ぎ込むのと同じように、彼らはシャドウバースに身を捧げているのです。

 

 もはや私にとってシャドウバースをするというのは、その一面においては戦場に赴くに等しい行為です。

 

 eスポーツ時代を迎え、私はシャドウバースを娯楽として見ることが、少し難しくなりました

 

 シャドウバースは着々と競技としての体を成しつつあり、また生きがいとして耐えうる一つのコンテンツとなりつつあるのでしょう。

 

*1:私がシャドバを始めたのはダークネスエボルヴ初期~中期であることを一応付記しておきます

*2:もちろん、完璧に実力がないと勝てない環境ではありませんでしたが、実力の割合が強まってきていたことは皆さんも感じられたことでしょう

*3:どこで区分けするか、明確に区分できるのかといった問いは、ここでは重要ではありません。

*4:返事が曖昧だったため、こう判断しました

*5:つまり、eスポーツ時代についていけない者とついていける者