とらじぇでぃが色々書くやつ

とらじぇでぃが色々書くやつ

主にVTuberの記事を投稿中。

私が哲学という沼にはまった理由

 

 普段私のツイートを見てくれているフォロワーさん方、とりわけ約二年前、つまり私が「とらじぇでぃ」のアカウントを作った時から仲良くしてくれているフォロワーさん方はご存知だと思うのですが、私の趣味の一つは哲学、正確には、「他人の思想を知ること」です。

 

 ブログでは自分語りしてなんぼということで、私が哲学にはまった経緯を書いてみるのですが、たぶん今まで考えた中では次のような理由・きっかけが思い浮かびます。

 

①本を読むことが好きだった

穿った見方をする冷めた性格

③小学五年生の時の発見

④ファンタジーなど、空想上のものへの憧れ

⑤高校がミッションスクール(≒キリスト教学校)だった

 

 ざっとこんな感じだと思います。

 は、昔からそうでした。小さいころの絵本の読み聞かせに始まり、幼稚園くらいのときの雑誌から、小学生低学年の児童文学と来て、小学3年生のころにはもうハリーポッターに手を出してました。

 たぶん中身はほとんど理解できていないと思うのですが、脇に二冊くらい続刊を積んで文字を追っていたのはなんとなく覚えてます。

 

 もともと運動は苦手なほうでした。まあ友達に誘われたりするので一応外で遊びはしていたのですが、高学年になると図書室へ行くことのほうが増えましたね。獣の奏者とか、見た目分厚いものを選ぶ傾向がたしかありました。色々読みましたけど、果てしない物語はだけは読もうとして挫折したの覚えてます笑

 

 そんな風に、読書を通じ、新しいことを知ることに、どこかで楽しみを感じていたように思います。

 たぶんその時は、本を読破していく達成感に楽しみを覚えていたような気がしますが……。

 

 

 穿った見方は、たぶん生まれつきのものだと思います。

 小学生の時、親と先生の面談って、毎学期ありますよね。

 あれで言われたらしい先生からの私の評価は、小学生になっても中学生になっても、「冷静に周囲を見れる子」でした。つまり特徴が無いし、もの静かで、他のクラスメイトから一歩引いている、ということです……。

 

 しかもこれ、小学生からとかではなくて、幼稚園のころには既にそうなのです。なんといったって、幼稚園のお遊戯会ですら、演技しながら「これはなんだ? 苦行か?(意訳」的なこと考えていたので。自分でもびっくりです。

 

 なので、たぶん、この見方は生まれつきのものかなと思っています。

 

 しかも穿った見方に加えて、昔から私は集団の中では盛り上がれない性格で、学校行事とか、大勢の人に見られている中だと、どうしても自分を客観視する自分が出現するのです。人の目を過度に気にしてしまうといいましょうか。なんとなく原因も分かるのですが、たぶん症状は軽い病気に近いと思います。

 そうしてどちらかというと独りか少人数で行動するようになっていったことも、読書など、一人で出来ることを好むようになった理由かもしれないです。

 

 

 ③の「小学五年生の時の発見」は自分でも衝撃を受けたことを、はっきり覚えています。というか、たぶんインパクトのあることくらいしかはっきりと覚えてないですよね、小学生の時のこととか。

 

 私は放課後、友達と一緒に帰ろうとしていたのですが、その子が突然運動場で遊んでいきたいと言い出しました。私は遊ぶ気分では無かったのですが、その時は結構遅い時間で、他に知り合いもおらず。かといって一人で遊ぶのは寂しかったので、正門近くで待っていることにしました。

 

 正門の近くの壁には、よくある、いつかの卒業生の絵が描かれていました。花や雲、音符などが書き込まれている、カラフルで楽しげな絵です。いつも目にしていたものなので、特別注視していたわけではなく、私は花壇に腰かけてぼんやりとそれを眺めていたのみでしたが、すると突然、なんの前触れもなく、疑問が湧いてきました。

 

 (この色って、他のみんなにも同じ風に見えてるんかな?)

 

 ……私は関西人なので関西弁ですけど、こんな風に思って、でも自分でも最初は、問いの意味がよくわかりませんでした。そう思ってから、(色は一緒だろ)と思って、(いやそうじゃなくて……)という作業を何度か繰り返したのち、問いが、

自分の見ている『赤色』と、他人の見ている『赤色』が違うこともありえるのではないか

というものだったと、なんとか噛み砕いて理解したのです。

 

 帰宅して、母に嬉々として伝えると、母も肯定してくれました。

 

 のちに、それがカントがかつて考えた認識の在り方に関わるものだったと知るのですが、ともかく、それは私にとって、雷に打たれたような経験でした。

 

 

 ④、空想上のものへの憧れについて。

 私は読書が好きだったと言いましたが、読んだのはファンタジー小説ばかりでした。ライトノベルには、あの二次元の絵に抵抗があって、まあ、「気持ち悪い」とさえ感じており手を出さなかったのですが、もし今の、アニメ絵に抵抗が全く無くない今の感覚を当時の自分に移植できたなら、中学校にあったライトノベルを読み漁るくらいにははまっていたと思います。そのくらいファンタジーは大好きでした

 

 ファンタジー熱に火をつけたのは間違いなく『ハリーポッター』です。もしこの作品に触れていなかったら、私はほぼ別人になっていたかも、と思わせるぐらい、後の行動原理に影響を与えたと思ってます。

 そこからは魔法を扱う作品を探しては読み、探しては読み。ほとんどが『バーティミアス』『大魔法使いクレストマンシーシリーズ』など海外のものでしたが、しばらくして先ほども挙げた獣の奏者などの和風ファンタジー?なども読むようになります。

 

 ただ、創作によくある、「現実が辛かったから本に逃げた」などでは全くありませんでした。悩みといえる悩みは特に無かったと思います。辛すぎて覚えてない可能性も無きにしも非ずですが。

 

 強いていうならおそらく、超人的なものへの憧れがその理由ではないでしょうか。

 

 この気持ちは、結構哲学的な、形而上的なものへの好奇心と直結していたんじゃないかと、今になって思うのですよね。

 ファンタジーは目に見えず、哲学もまた目に見えず。また、魔法は超越的なものであると同時に人々の理想で、哲学も同じ。人々が困ったときには、両者とも同じように助けを求められます。

 

 つまり、ファンタジー好きがそれを拗らせたか、ファンタジー好きが昇華されたかの結果が、哲学好きなのではないかな、と思ったり。

 

 

 の高校の話は、直接のきっかけです。

 

 私は高校入試で上を狙って不合格になり、併願の私立高校へ行くことになります。

 

 その高校は「ミッションスクール」、つまりカトリックの学校でした。敷地内に聖堂があったり、式の始まりと終わりには、「父と子と聖霊の御名によって……」が唱えられ十字が切られたりと、今まで見てきた世界と比べるとあまりに異様でびっくりしてしまいました。

 

 入学式の帰り、あまりの異様さに親と笑い転げていたことを思い出します。

 

 卒業のころには考えは180°変わっていたんですけどね*1

 

 で、その学校はそういった背景もあって、高校1年生に「倫理」と、宗教に関わる授業が用意されていました。

 

 倫理は勉強された方もいるでしょうが、西洋哲学史・東洋思想史・日本思想史を時系列順に学んでいく科目です。といっても暗記メインですけど。

 

 宗教に関わる授業は、キリスト教の聖書について学ぶものでした。一人一冊買わされた聖書を使って、『善きサマリア人の譬え』とか、『放蕩息子の譬え』とかやりましたね。

 

 そのうち、「倫理」は、私に哲学の存在を教えてくれた科目でした。

 そして倫理の中で、私のような哲学素人が目を惹かれるのは、あのニーチェ先生なんですよね。「神は死んだってなんやねん……」と突っ込んだりしていたのですが、感じで調べてみると案外面白くて、それが本当に直接の入り口でした。

 

 宗教に関する授業はというと、それもかなり入口へ立つことに貢献してきたと思っています。その授業は高校3年間ずっとあったのですが、そのうち1年と3年の時の担当が、哲学科出身の先生だったのです。その先生は授業中哲学の話をかなり頻繁にしてくださったし、最後はかなり仲よくなって、個人的に哲学の話を聴かせてくれたりもしました。

 

 そんなこんなで、今でも、本当に、あの学校に入れてよかったと思ってます。

 

 以上が、私が思う、哲学にはまったきっかけです。

 

 あともう少しだけ、哲学書を読むようになるまでの過程まで書かせてください。

 

 上に書いたように哲学を知った私でしたが、そこから、いきなり哲学書を読み始めたわけではありませんでした。私なりに結構しっかり準備をしたのです。

 

 1つ目が哲学史の学習、2つ目が哲学概念の簡単な理解でした。

 

 哲学史の学習は、間違いなく必要だと思ってました。論文が過去の類似論文をすべて踏まえたうえで書かれるように、哲学書も先人たちの思想をふまえて書かれるので、いきなり時代をすっ飛ばしてニーチェを読んだりしてもダメだろうし、かといって全体が見えていないなかで先頭から順に読破しようとしても挫折するだけだろうと思ったのです。

 

 そこで私は入門書や新書をいくつか図書館で借りてきて、読み進めました。

 

 特に『哲学用語図鑑』は、用語解説は簡単にしか書かれていないものの、イラストが豊富で視覚的にも捉えやすく、入門書の横に広げて置きながら読むとかなり理解の助けになりました。

 

哲学用語図鑑

哲学用語図鑑

 

 

 一方、哲学概念の理解は、少し勉強の方法を勘違いしていたように思います。

 

 哲学を学ぶうえで大事だとよく言われるのは、概念では無くてそれを導く過程、というものです。

 たしかに、簡単に解説される概念について簡単に理解しておくことは大事なことでしょうが、私の場合、問題はそれで知った気になってしまったことですね。

 

 本当は、哲学書は小説のように複雑に絡みあっていて、何度も何度も繰り返し読んで、まるで小説の伏線に気付くが如く、「ああ、あの記述はここに関係していたのか」とか、そういう風に理解を進めていくものだと思っているのですが、しかしそれに反して、入門書などで概念として紹介されているものは、そういった連環から引きちぎられ、抜き出されたものです。それを把握しても、得られるのは断片的なもので、その理解だけでは、その概念、ひいてはその哲学者を真に理解したとは到底言えません*2。その概念についての最低限の知識が手掛かりとして役立ったこともありましたが、その時点で満足しかけていた過去の自分には喝を入れてやりたいです。

 

 そうして勉強した後、一番最初に手を出したのは、やっぱり気になっていたニーチェツァラトゥストラでした。

 

ツァラトゥストラ〈1〉 (中公クラシックス)

ツァラトゥストラ〈1〉 (中公クラシックス)

 

 

 ゾロアスターをモデルにした「ツァラトゥストラ」が山から町へ下り、旅をするストーリーでしたが、詩の形式をとっており、また暗喩と省略のオンパレードで構成されてることもあって、正直何を言ってるのかほとんどわかりませんでした。本の副題が「万人に与える書、なんびとにも与えぬ書」なので、ニーチェはわざと分かり辛く書いたのでしょうが……。

 

 間違いなく、ニーチェは最初に読むべきではないです。『方法序説』とか、もっと論理的でオーソドックスなものから始めたほうが良いと、今は思います。

 

 『ツァラトゥストラ』を読んだ後も、哲学書を色々買って読んで、今の本棚はこんな感じになりました。

 

f:id:sangonoumi5:20190323232516j:image

 

 積読も多いですけど。

 

 そんな感じで哲学書を最近も読んでいるんですが、最近はメリットもデメリットも感じるようになったので、それもまた記事にしようかなと思ってます。

 

  今格闘してる『精神分析学入門』がもう少しで終わるので、そうしたら次はマルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』を読みたいです。

 

 

 

*1:「アーメン」は一度たりとも言いませんでしたが笑

*2:そしてその真なる理解も本当にあるかわかりません……

魂のグラブルガチャ300連!

 

 

 

 3/21、グランデフェス最終日。

 騎空士とらじぇ、今まで貯めた天井分の宝晶石を開放することを決意。

 

 

 気合十分。

 

 しかし、無料ガチャは10連・20連と来て、ゲージがほぼ9割の状態だったのですが、素でガチャピンモードを当ててしまいます。

 

 もうこの時点で運が無いです。

 

 が、ガチャ欲を我慢できずチケットを全部消費してしまっていたので、もう退くに退けません。

 

 狙い目はリミテッド武器。イクサバ、ブルースフィア、エデン……どれも魅力的です。ただ、パラゾニウムはもう4凸してあるのであんまり引きたくないですね。

 

 

f:id:sangonoumi5:20190322221858p:plain

引いちゃいました……

 

 あと、星晶獣のブローディア、シヴァ、テーバイちゃん(エウロペ)はもってないのでぜひ引きたい。さらに欲を言えば、水着グレアも引きたい。引きたい引きたい~~~~

 

 いざガチャ。

 

 

 ……

 

 

 …………

 

 

 ………………

 

 

 ……………………

 

 

 結果。

 

 獲得キャラ

 

f:id:sangonoumi5:20190322222753p:plain

 

 テーバイちゃんきちゃーー!!

 

 水着ユエルが二人出てしまったのと、水着イルザが三人出てしまったあたりはショックでかいですが、資産が増えたということで……必要な時砕かせていただきます……。

 

  ↑こんなこと言ってるからですね

 

 そして天井交換へ。

 

 

 テーバイちゃんが来てくれたので、シヴァとブローディアで悩みます。色々調べたところ、シヴァはある程度の戦力を前提に強くなるタイプらしく、雑に突っ込んでも強いらしいブローディアと交換することにしました。

 

f:id:sangonoumi5:20190322224050j:plain


 すこだあ……。

 

 しかし悲劇が発生。

 

 「ゴブロかっこかわええ~」とマイページに戻ると、「ガチャピンモード終了」の表示。

 

 あっ察し

 

f:id:sangonoumi5:20190322221030p:plain

 

 すっかり忘れてました、ムックモードの存在を……。

 宝晶石3000個を無駄にした気分です、最悪です。

 上がってたテンションだだ下がり。もう鬱です。おーまいごっど。

 憂鬱な気分でガチャを引きました。

 

 

f:id:sangonoumi5:20190322220944p:plain

 

 

  え、めっちゃ当たるやん

 

 ムックやるやんけ……という感想で締めくくられた初天井でした。

 

騎空士としてのとらじぇ

 

 グラブルをいつ始めたかは正直覚えてませんが、たしか3年前だったと思います。

 一番揃ってる編成は闇ですねたぶん

 

f:id:sangonoumi5:20190318170921p:image

 武器交換チケはアビススパインに使いました。でも4凸まだです…。

 保有キャラはこんな感じ。

f:id:sangonoumi5:20190318171103p:imagef:id:sangonoumi5:20190318171113p:imagef:id:sangonoumi5:20190318171123p:image f:id:sangonoumi5:20190318171135p:imagef:id:sangonoumi5:20190318171145p:image

 いくつか凸できてる召喚石も

f:id:sangonoumi5:20190318192951p:image

 グラブルは結局コツコツやらないとどうしようもないゲームなので、ちょっと良いの当てたところでって感じです……。

 推しキャラはナルメアにしてますけど、ダークジャンヌもすこです。ちなみにシャドバのダークジャンヌ、効果もボイスも好きだったなあ……。今はヘクターもいるし黄金都市で手札回転させた方が強いみたいなので活躍の機会が回ってきてないようですが……。

 そして、忘れちゃいけないのがょぅι゛ょたちですね。ハーヴィンやドラフのちっちゃい子組さんすこ。

 そしてなにより、ヤイアはお気に入りですね。最終上限解放が実装された時はちょっと話題になりましたが……なんかちょっとだけえっちくないですか……? いやょぅι゛ょはそういう意味で好きなわけではないんですが……これはなんかいかがわしい……。

f:id:sangonoumi5:20190322010221p:plain

最終上限解放イラスト

  チャーハン作ってほしい。

 

 

 

 

 おまけ:今日のBABEL

 

 内戦の申し込みが3/21までだったので、呼びかけをしてみました。

f:id:sangonoumi5:20190322022623j:image

 

 その反応↓

   

f:id:sangonoumi5:20190322023336j:imagef:id:sangonoumi5:20190322023440j:image

 

f:id:sangonoumi5:20190322022725j:image 

 

 

 なんじゃこりゃ。

 

 

 

 

 

 

ラブライブコラボを受けて考えるシャドバの世界観

 

 先日『ラブライブ!』とのコラボが発表されましたね。

 どうやら、①Aqours*1によるコラボ楽曲制作、②Shadowverseリーダースキンなどの実装、③コラボはスクフェスと相互、④キャンペーンガール決定戦と称する人気投票の開始が主なお知らせの内容みたいです。

 

 私、サンシャインは当時観てたので、これはけっこう嬉しいですね。みんなかわいいですし。②のリーダースキンはおそらく全員実装になると思うので*2、それも楽しみです。1人はみ出る問題は、ニュートラルスキンとして実装すればよさそうに思います。

  元ページは見つけられませんでしたが、これが本当なら問題は解決できそうです。

 Fateコラボのようなコラボカードもあれば良いんですけどね。デビルアイドル・トリルなんかは使えそうな気がします……。

f:id:sangonoumi5:20190319213849p:plain

 (https://shadowverse-portal.com/card/110631030?lang=ja

 

 めっちゃ嬉しい! とは言わないまでも、そこそこに楽しみにしてる私ですが、界隈ではどうも評判がよくないという噂を聞きつけました。

 

 本当か? と思い先ほど引用した公式ツイートへのリプライを確かめてみると、称賛3割批判6割*3といった感じでした。見た感じですけど。

 

 「いらん」という直球コメントや、「最悪」など嫌悪感を露にするコメント、「民度が低いところとコラボするな」という偏見に近いコメントや、「ワンパンマン早くして」など直接触れないコメントがありましたね。

 

 つまり、なんというか、正直というか、感情に素直なコメントが多かったように思います。ですが感情に文句は言えません。どう思うかはそれぞれですし、他人の感情に踏み入ることは許されないでしょう。

 

 ですが、感情が理論で武装してくるとなると話は別です。感情と理性は切り離すべき*4、感情を先行させ、理性を利用するやり方はダブルスタンダードに陥りやすい危険な傾向です。実際、注意してアンテナを張り巡らせていると、そんな例はかなり見られます*5

 

 もちろんそうではなくて、理性をもって批判している*6人もいるでしょうが、最近怖いと思っている傾向の一つなので記述しておきました。

 

 さて、では「世界観」について少し考えてみます。

 

 何を考えるにも、まずはその語の意味が分かっていなければ始まりません。口論はどこから始まるかといえば、それは定義のすれ違いですし、ましてや大前提が違っていれば議論にすらなりません。

 

せかい‐かん〔‐クワン〕【世界観】

 
 世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい。楽天観厭世(えんせい)観運命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。
 俗に、文学・音楽などで、その作品がもつ雰囲気や状況設定。「人気漫画の世界観が楽しめるカフェ」

 出典 小学館 コトバンクから引用 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3-86660

 

 ここでは2の意味です。へー、作品の状況設定などのことを言うんだ、まあたしかにそうだな、と納得してみます*7。そうすると、世界観の崩壊というのは世界観の存在を前提としていますから、「既存の世界観=設定とは違うコンテクストの要素が侵入すること」を指しているのだと考えます。それを踏まえ、Shadowverseにおける世界観を考えてみます。

 

 

 

ストーリーと対人戦の二元構築

 Shadowverseには主に二つの遊び方があります。一人用のストーリーモードと、ランクマッチなどを始めとした、対人戦のバトルモードです。チュートリアルからストーリー要素は入ってきますから、両者は一体とも言えますが、対人戦はストーリーを引き続き見なくてもプレイ可能であり、またShadowverse運営はストーリーではなくその対人戦を前面に押し出した売り出し方をしていること*8と、多くの人が対人戦を主に楽しんでいる*9ことからも、両者は別々に存在しているものであって、かつ、Shadowverseではストーリーはあくまでも付属のものであり、対人戦こそが主であるといえます。

 

 では、ストーリー対人戦のそれぞれについて見てみます。

 

 まずストーリーですが、おそらく、多くの人のいう世界観というのは、ストーリーモードの物語を見たうえでのものでしょう。私は戦闘が面倒でギルド騒乱編の手前までしか見ていないのですが、どうやら最近はかなり人気が高いようですね。Cygamesだけに設定もしっかり作られているようなので、そういう意味で世界観はあるといえそうです

 

 では、対人戦としてはどうでしょうか。ゲームシステムステージカードリーダーのそれぞれについて考えます。

 

 ゲームシステムを取り上げてみると、もちろんありません。あるのは無機質なルールのみです。

 

 ステージにはシンプルステージを除けば、世界観はあるといえるかもしれませんが、しかしストーリーを知らなければそれはただの棺桶や鎧があって、触ると動くのみなので、そうは断言しにくいです。

 

 リーダーも同様で、ストーリーを読まない人にはイザベルは未亡人ではなくおっぱいのおっきなお姉さんに見えるでしょうし、ルナは死人と話せるサイコパス幼女*10ではなく、ぬいぐるみが好きな言動が危ない少女か、むしろ小倉唯に見えるでしょう。

 

 ではカードはどうか。マナリア学院や、ケルベロス一行など、神撃のバハムートを土台とした設定はイラストやフレーバーテキスト、ボイスから確認できます。そうしてみると、世界観はあるといえそうです。ですが同時に、グランブルーファンタジーにのみ登場するキャラクターや、シャドウバースオリジナルキャラクターである絶傑、さらには聖書から黙示録や、ギリシャ神話のゼウスやハデスなどの神々もカードにされており*11、これでは統一性はありません。

 

 つまり、Shadowverseというゲームにおいては、設定という舞台上において、本来関わり合うことがなく、調和もしないであろうものたちが混在しているのです。演劇で、同時に別々の芝居が複数行われている事態と言えましょう。世界観というのは、統一された一個のものを指すはずです。そうすると私は、「世界観はあるにはあるが、すでに崩れている」もしくは「そもそも存在しない」と指摘しなくてはならなくなります。

 

 

ライトノベルのたとえ

 ここで仮に、「それでも、これらはシャドウバースという世界に内包されているし、実際我々はこのカードたちを違和感なく受け入れているのだから、世界観を構築しているといって差し支えない」という意見、つまり、ライトノベルのゴブリンやオーガはRPGゲームから拝借したものだが、それらは世界観を構築しているじゃないか」という意見があったとしましょう。これはたしかにそうです。ゼウスやハデス、黙示録といっほとんどの人が既知であろうものから、グランブルーファンタジーのキャラまで、先に挙げたものはすべてこれで説明できるような気がします。

 

 ですが、ちょっと待ってください。ラノベのゴブリンやオーガは、どのような文脈で登場するのでしょう? 私はラノベにそれほど詳しくないのですが、きっと人々を襲うだとかで、主人公(=読者の主な感情移入先)に退治されるとか、知能が高い個体で、主人公と行動を共にすることになるとか、そういうものだと思います。たしか、『ゴブリンスレイヤー』では、集団で人々を襲う悪の個体のように描かれていました。つまり、読者のアバターである主人公を中心とした生活圏に、そういったものたちは密接に関わっているのです。これを抽象化して、「世界観を構成する要素は、それぞれが同じ軸のもとに、密接に関わっている必要がある」としましょう。

 

 

Shadowverseにおける「密接な関係」

 対して、Shadowverseはどうでしょうか。プレイヤーのアバターというのは、アリサなどのリーダーを指しますが、これらリーダーと、カードであるゼウスなどの関係はというと、かなり希薄なものです。

 ゲームの場において、手札にあるゼウスは——言い方が悪いかもしれませんが——勝負に勝つための道具にすぎません。そこにリーダーとカードとの密接な関りを見出そうとしても、難しいでしょう。さらには、「世界観を重視する」ということはすなわち「その世界観に没入できることが重要だ」としていると思われますが、対人戦においてリーダーに対し感情移入することは、残念ながらありません。自分が負けて、「お前に負けるなら悔いは無いさ……」と爆発するローウェンに、いちいち悲しみを感じることはありませんし、ルナをフルボッコにして罪悪感を覚えることもありません*12

 

 一方、ストーリーモードのバトルで、時に世界観を感じるのは、戦闘がストーリー上に組み込まれていることで、リーダーを感情移入先として捉えていること、つまり、さながらライトノベルの読者のように主人公に没入していることも、一因であります。だから、バトルに高揚感を覚えたりとか、ギルド騒乱編のラスボスを倒すとき、一抹の罪悪感を覚えたりとかするのでしょう*13

 

 

コラボリーダースキンへの適用

 そして冒頭にも申し上げた通り、ストーリーと対人戦は別物であり、コラボリーダースキンが登場するのは、ストーリーではなく対人戦であります。対人戦でコラボリーダースキンを使ったとしても、世界観があると言えるストーリーに影響は全くありませんし、ゲーム自体には世界観が無い、あるいは希薄であるため、こちらへの影響も無いと言えましょう。

 

 よって、ラブライブ!』のキャラクターがスキンとして実装されることへの「世界観を壊す」という批判は、妥当ではないかもしれません*14

 

 

雰囲気について

 そして雰囲気の話ですが、以上からして、雰囲気の有無は主観的に見た世界観として整理すべきだと考えます。

 

 俗に言う世界観という言葉を、主観的なものと客観的なものに分けた方が合点が行きやすいだろうという提案です。

 

 つまり先ほどまでは、「世界観を壊す」という意見について、客観的世界観に関わる部分を述べたわけですが、ここからあえて主観的世界観に踏み込むなら、客観的世界観についての考えを適用してみた方がいいでしょう*15

 

 そうしてみると、そこにある雰囲気とは、無意識的に、一部分を取り上げて、それを全体として見てしまっていることから発生していると推測します。つまり、全体を貫く要素を見出して、それをもって雰囲気があるとおっしゃっているのではないかという推測です。

 

 全体を貫く要素というのは、たとえばイラストです。元が一つのゲームだっただけあり、Cygamesはイラストのタッチを統一しています。中には「敬虔な修道女*16」など、少し違うかな? と感じるようなカードもありますが、ほとんどは同じタッチで描かれているか、パッと見たところ違和感が無いよう設計されているように思います。

f:id:sangonoumi5:20190320142732p:plain

かのレリアビショップに入っていたカードです

 あとは、セリフだとか、ボイスだとかも、それに当てはまるかもしれません。

 

 そうした全体を貫く要素をもって、世界観を主張するとすれば、主観的世界観はあると言ってもいいかもしれません。ですが、客観的世界観から、つまり設定の有無という見地から主観的世界観を見ると、これも少し言い方が悪いかもしれませんが、そこにあるのは規則正しく並んだ記号たちとも言えますし、設定を構成するには至っていません。

 

 

総括

 さて、今までの話を総括しましょう。私の結論は、コラボスキンが影響を及ぼすであろう範囲では、Shadowverseには雰囲気はあるが設定は(ほぼ)無い、主観的世界観はあるが客観的世界観は無いということです。

 

 個々の感性から出発する主観的世界観派から見れば、ストーリーは言わずもがな、ゲーム自体もハイクオリティなイラストとボイスが搭載され、進化を取り入れたゲームシステムなど、シャドウバース独特の雰囲気があると言える、となりましょう。

 

 しかし一方、設定から出発する客観的世界観派から見れば、その雰囲気というのは記号に過ぎません。たしかにストーリーについては世界観があり、そこに組み込まれる戦闘も世界観構成の一助となると同時にその部分ではあるので、その箇所においては主観的世界観派と意見は一致するものの、あくまでも主である対人戦においては、やはり本質がカードゲームでありランクマッチであり大会であり、勝ち負けである以上、存在すると断言することは難しいといえます。

 

 

余談

 おまけですが、「戦わないキャラクターをリーダースキンとして実装することには違和感がある」という批判について。

 

 リーダーは演出上、カードを使役して相手リーダーと戦うわけですが、ラブライブ!』のキャラクターは戦闘を目的としていません。『ラブライブ!』の内容を知らない方にとっては、まさに冒頭の「デビルアイドル・トリル」のように、「よくは分からないが何らかの理由で戦うアイドル」として映るでしょうが*17内容を知っている方にとっては、少し違和のある光景かもしれません

 

 そして『ラブライブ!』は紅白歌合戦でも紹介されるほど認知度が高まっているコンテンツで、そこに登場する少女たちが少なくとも戦うアイドルでは無いことは、ほとんどの人が知っています。

 

 今まで実装されたリーダースキンはストリートファイターFateと、両者とも戦闘を軸としたキャラクター群が用意されましたが、一方でギャグアニメのゾンビランドサガはスリーブとエンブレムのみでリーダースキンの実装には至っていません。流れとして、戦闘キャラのみをリーダーにするのかと思いきや、そんなことは無かったようですね。

 

 しかしただ、本質的なところを考えると、先ほども言った通り私たちはゲーム中スキンに感情移入したりはしないわけですし、また演出から考えれば爆発したり痛がったりするので戦闘には見えますが、根本的にはカードゲームであるというところを考慮すると、リーダースキンとして実装しても障害があるわけではないはずです。

 

 このように、主観的世界観派がラブライブコラボスキン実装を問題視するのは、「統一的な並び」、「全体を貫く要素」にそぐわないからだと思われますが、運営さんとしては、そこに配慮した実装を心がけることが重要といえそうです。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 最後に念のため付け加えますが、私にみなさんを攻撃する意図は一切、全く、これっぽっちもありませんし、考えを押し付けるつもりもありません。あくまでも私個人の考えです。ふーん、と思って流してくださればそれでいいです。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 さてさて、人気投票は誰に入れようかと悩んだ結果、私は津島善子ちゃんに入れました。友達が昔好きだと言ってたので、印象に残ってました。

  結果がどうなるのか楽しみです。

 

*1:ラブライブ!サンシャイン!!』に登場する、9人組アイドルグループの名称

*2:一人だけか、全員か、ってことになりそうですけど、きっと全員実装してくれるはず、という願いを込めました。喧嘩になるかもですし

*3:誹謗中傷に近いコメントを批判だとは思っていません

*4:たとえば死刑反対と主張する法学者が、内心殺人犯を八つ裂きにしてやりたいと思っていたとしても不思議はありません。

*5:アニメポスターへの批判など。論争を追ってみると分かりますが、声の大きな批判者は簡単にボロを出すことが多いです

*6:抱いた嫌悪感や好感は脇においておいて、論理的に考えたうえで批判すること

*7:雰囲気があるないという話は主観的なものとなるでしょうから、後に触れさせてください。

*8:App storeでは、一番目につきやすい画像はすべてバトルについて。ストーリーについては動画で少し触れられるのみです。

*9:先日、ストーリーのイリス編クリアを条件にレジェンドパックが配布されましたが、これはテコ入れだったとも考えられます。憶測ですが。

*10:最近のストーリーでは健気な女の子になっていると聞くのでちょっと興味がわいてます

*11:ゼウスやハデスは神撃のバハムートのキャラクターであると同時に、ギリシャ神話のキャラクターでもあります

*12:7点以上のパンチをかまして聴ける叫び声に興奮することは、感情移入とは関係ないです。はい。

*13:やってないので知らんけど……。

*14:また、今までのコラボでは、ストーリーを実装せず、リーダースキンやスリーブ等を追加するのみの形が一般的でしたが、これは運営が、世界観のあるストーリーは対人戦とはまた別のものとして捉えて、コラボ先のキャラをアリサ達登場人物と関わらせることを避け、世界観のない、もしくは世界観を構成する要素が限りなく薄いゲーム自体を、当然ながら重く見た結果だと考えます。これも私の考えを強化してくれるでしょう。

*15:感情に理由付けが可能なように、主観に客観を適用することは許されると考えました

*16:https://shadowverse-portal.com/card/101711100?lang=ja

*17:まさに自分がそうで、彼女とメイド二人は何らかの理由で、戦いに参加を強いられているのだろうと勝手に想像しています

カラオケに行って一個だけ収穫があった

 昨日、友人とカラオケに行ってきました。二人で交互に歌いながら、積もる話もしつつ、フリータイムの8時間を楽しんできました。

 DAM精密採点をいつも使うのですが、友人は93点出してました。

 よく一緒に行くんですけど、彼は本当に歌上手いです。

 私は雨とペトラが90を超えたくらいでした。

f:id:sangonoumi5:20190320021249j:image

 今回の収穫は、「ドラマツルギーはキーを2つ上げてサビオク下で気持ちよく歌える」に気付けたことですかね。

 ……それだけですごめんなさい

 

 

 あと……唐突にシャドバの話になりますけど、私がリーダーをやってるBABELの内戦が22・23・24に予定されてて、その参加不参加を、グーグルのアンケート機能で聞いてるんですね。自分としても把握しやすいし、なんやしで使ってるんですけど。で、一昨日まで28人中5人くらいしか申請が無くて昼あたりに呼びかけたんですけどね、さっき見たら11人くらいまで増えててひとまず安心しました。みんな忘れてたんかな……。

 いやしかし、今週末にJCGの大会があるとは思ってませんでした。一応金曜・土曜どちらか一方参加すれば良しという形を取ってるので大丈夫かなあとは思うんですけど……ちょっと失敗したなあ……。人数総計20人は想定してたのですが、今度はそこまで集まるか不安です。集まってくれぇ……たのむぅ……。

 

 あ、BABELはいつでも加入希望受け付けてるので、気軽にどうぞ! メンバー不足に悩んでいるわけではないということもあって、少しハードルは上がってますが、応募しなきゃ始まらない……!