ラブライブコラボを受けて考えるシャドバの世界観
先日『ラブライブ!』とのコラボが発表されましたね。
【新コラボレーション情報】
— Shadowverse公式アカウント (@shadowverse_jp) 2019年3月18日
「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル」との相互コラボが決定!ゲーム内コラボに先駆けて「スペシャルコラボキャンペーンガール決定戦」を開催!https://t.co/WpldLDMScY
詳細は後日の発表をお楽しみに!#シャドウバース #スクフェス #シャドバスクフェスコラボ pic.twitter.com/FDGf5UJlX5
どうやら、①Aqours*1によるコラボ楽曲制作、②Shadowverseリーダースキンなどの実装、③コラボはスクフェスと相互、④キャンペーンガール決定戦と称する人気投票の開始が主なお知らせの内容みたいです。
私、サンシャインは当時観てたので、これはけっこう嬉しいですね。みんなかわいいですし。②のリーダースキンはおそらく全員実装になると思うので*2、それも楽しみです。1人はみ出る問題は、ニュートラルスキンとして実装すればよさそうに思います。
Neutral skins coming soon
— ネコじゃねぇ! (@STEl3xE) 2019年2月28日
Flame and Glass,Bellringer Angel,Lucifer
From Shadowverse Netease ver. pic.twitter.com/RKJRMxqz2B
元ページは見つけられませんでしたが、これが本当なら問題は解決できそうです。
Fateコラボのようなコラボカードもあれば良いんですけどね。デビルアイドル・トリルなんかは使えそうな気がします……。
(https://shadowverse-portal.com/card/110631030?lang=ja)
めっちゃ嬉しい! とは言わないまでも、そこそこに楽しみにしてる私ですが、界隈ではどうも評判がよくないという噂を聞きつけました。
本当か? と思い先ほど引用した公式ツイートへのリプライを確かめてみると、称賛3割批判6割*3といった感じでした。見た感じですけど。
「いらん」という直球コメントや、「最悪」など嫌悪感を露にするコメント、「民度が低いところとコラボするな」という偏見に近いコメントや、「ワンパンマン早くして」など直接触れないコメントがありましたね。
つまり、なんというか、正直というか、感情に素直なコメントが多かったように思います。ですが感情に文句は言えません。どう思うかはそれぞれですし、他人の感情に踏み入ることは許されないでしょう。
ですが、感情が理論で武装してくるとなると話は別です。感情と理性は切り離すべきで*4、感情を先行させ、理性を利用するやり方はダブルスタンダードに陥りやすい危険な傾向です。実際、注意してアンテナを張り巡らせていると、そんな例はかなり見られます*5。
もちろんそうではなくて、理性をもって批判している*6人もいるでしょうが、最近怖いと思っている傾向の一つなので記述しておきました。
さて、では「世界観」について少し考えてみます。
何を考えるにも、まずはその語の意味が分かっていなければ始まりません。口論はどこから始まるかといえば、それは定義のすれ違いですし、ましてや大前提が違っていれば議論にすらなりません。
せかい‐かん〔‐クワン〕【世界観】
1 世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい。楽天観・厭世(えんせい)観・運命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。
2 俗に、文学・音楽などで、その作品がもつ雰囲気や状況設定。「人気漫画の世界観 が楽しめるカフェ」出典 小学館 (コトバンクから引用 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3-86660)
ここでは2の意味です。へー、作品の状況設定などのことを言うんだ、まあたしかにそうだな、と納得してみます*7。そうすると、世界観の崩壊というのは世界観の存在を前提としていますから、「既存の世界観=設定とは違うコンテクストの要素が侵入すること」を指しているのだと考えます。それを踏まえ、Shadowverseにおける世界観を考えてみます。
ストーリーと対人戦の二元構築
Shadowverseには主に二つの遊び方があります。一人用のストーリーモードと、ランクマッチなどを始めとした、対人戦のバトルモードです。チュートリアルからストーリー要素は入ってきますから、両者は一体とも言えますが、対人戦はストーリーを引き続き見なくてもプレイ可能であり、またShadowverse運営はストーリーではなくその対人戦を前面に押し出した売り出し方をしていること*8と、多くの人が対人戦を主に楽しんでいる*9ことからも、両者は別々に存在しているものであって、かつ、Shadowverseではストーリーはあくまでも付属のものであり、対人戦こそが主であるといえます。
では、ストーリーと対人戦のそれぞれについて見てみます。
まずストーリーですが、おそらく、多くの人のいう世界観というのは、ストーリーモードの物語を見たうえでのものでしょう。私は戦闘が面倒でギルド騒乱編の手前までしか見ていないのですが、どうやら最近はかなり人気が高いようですね。Cygamesだけに設定もしっかり作られているようなので、そういう意味で世界観はあるといえそうです。
では、対人戦としてはどうでしょうか。ゲームシステム、ステージ、カード、リーダーのそれぞれについて考えます。
ゲームシステムを取り上げてみると、もちろんありません。あるのは無機質なルールのみです。
ステージにはシンプルステージを除けば、世界観はあるといえるかもしれませんが、しかしストーリーを知らなければそれはただの棺桶や鎧があって、触ると動くのみなので、そうは断言しにくいです。
リーダーも同様で、ストーリーを読まない人にはイザベルは未亡人ではなくおっぱいのおっきなお姉さんに見えるでしょうし、ルナは死人と話せるサイコパス幼女*10ではなく、ぬいぐるみが好きな言動が危ない少女か、むしろ小倉唯に見えるでしょう。
ではカードはどうか。マナリア学院や、ケルベロス一行など、神撃のバハムートを土台とした設定はイラストやフレーバーテキスト、ボイスから確認できます。そうしてみると、世界観はあるといえそうです。ですが同時に、グランブルーファンタジーにのみ登場するキャラクターや、シャドウバースオリジナルキャラクターである絶傑、さらには聖書から黙示録や、ギリシャ神話のゼウスやハデスなどの神々もカードにされており*11、これでは統一性はありません。
つまり、Shadowverseというゲームにおいては、設定という舞台上において、本来関わり合うことがなく、調和もしないであろうものたちが混在しているのです。演劇で、同時に別々の芝居が複数行われている事態と言えましょう。世界観というのは、統一された一個のものを指すはずです。そうすると私は、「世界観はあるにはあるが、すでに崩れている」もしくは「そもそも存在しない」と指摘しなくてはならなくなります。
ライトノベルのたとえ
ここで仮に、「それでも、これらはシャドウバースという世界に内包されているし、実際我々はこのカードたちを違和感なく受け入れているのだから、世界観を構築しているといって差し支えない」という意見、つまり、「ライトノベルのゴブリンやオーガはRPGゲームから拝借したものだが、それらは世界観を構築しているじゃないか」という意見があったとしましょう。これはたしかにそうです。ゼウスやハデス、黙示録といっほとんどの人が既知であろうものから、グランブルーファンタジーのキャラまで、先に挙げたものはすべてこれで説明できるような気がします。
ですが、ちょっと待ってください。ラノベのゴブリンやオーガは、どのような文脈で登場するのでしょう? 私はラノベにそれほど詳しくないのですが、きっと人々を襲うだとかで、主人公(=読者の主な感情移入先)に退治されるとか、知能が高い個体で、主人公と行動を共にすることになるとか、そういうものだと思います。たしか、『ゴブリンスレイヤー』では、集団で人々を襲う悪の個体のように描かれていました。つまり、読者のアバターである主人公を中心とした生活圏に、そういったものたちは密接に関わっているのです。これを抽象化して、「世界観を構成する要素は、それぞれが同じ軸のもとに、密接に関わっている必要がある」としましょう。
Shadowverseにおける「密接な関係」
対して、Shadowverseはどうでしょうか。プレイヤーのアバターというのは、アリサなどのリーダーを指しますが、これらリーダーと、カードであるゼウスなどの関係はというと、かなり希薄なものです。
ゲームの場において、手札にあるゼウスは——言い方が悪いかもしれませんが——勝負に勝つための道具にすぎません。そこにリーダーとカードとの密接な関りを見出そうとしても、難しいでしょう。さらには、「世界観を重視する」ということはすなわち「その世界観に没入できることが重要だ」としていると思われますが、対人戦においてリーダーに対し感情移入することは、残念ながらありません。自分が負けて、「お前に負けるなら悔いは無いさ……」と爆発するローウェンに、いちいち悲しみを感じることはありませんし、ルナをフルボッコにして罪悪感を覚えることもありません*12。
一方、ストーリーモードのバトルで、時に世界観を感じるのは、戦闘がストーリー上に組み込まれていることで、リーダーを感情移入先として捉えていること、つまり、さながらライトノベルの読者のように主人公に没入していることも、一因であります。だから、バトルに高揚感を覚えたりとか、ギルド騒乱編のラスボスを倒すとき、一抹の罪悪感を覚えたりとかするのでしょう*13。
コラボリーダースキンへの適用
そして冒頭にも申し上げた通り、ストーリーと対人戦は別物であり、コラボリーダースキンが登場するのは、ストーリーではなく対人戦であります。対人戦でコラボリーダースキンを使ったとしても、世界観があると言えるストーリーに影響は全くありませんし、ゲーム自体には世界観が無い、あるいは希薄であるため、こちらへの影響も無いと言えましょう。
よって、『ラブライブ!』のキャラクターがスキンとして実装されることへの「世界観を壊す」という批判は、妥当ではないかもしれません*14。
雰囲気について
そして雰囲気の話ですが、以上からして、雰囲気の有無は主観的に見た世界観として整理すべきだと考えます。
俗に言う世界観という言葉を、主観的なものと客観的なものに分けた方が合点が行きやすいだろうという提案です。
つまり先ほどまでは、「世界観を壊す」という意見について、客観的世界観に関わる部分を述べたわけですが、ここからあえて主観的世界観に踏み込むなら、客観的世界観についての考えを適用してみた方がいいでしょう*15。
そうしてみると、そこにある雰囲気とは、無意識的に、一部分を取り上げて、それを全体として見てしまっていることから発生していると推測します。つまり、全体を貫く要素を見出して、それをもって雰囲気があるとおっしゃっているのではないかという推測です。
全体を貫く要素というのは、たとえばイラストです。元が一つのゲームだっただけあり、Cygamesはイラストのタッチを統一しています。中には「敬虔な修道女*16」など、少し違うかな? と感じるようなカードもありますが、ほとんどは同じタッチで描かれているか、パッと見たところ違和感が無いよう設計されているように思います。
あとは、セリフだとか、ボイスだとかも、それに当てはまるかもしれません。
そうした全体を貫く要素をもって、世界観を主張するとすれば、主観的世界観はあると言ってもいいかもしれません。ですが、客観的世界観から、つまり設定の有無という見地から主観的世界観を見ると、これも少し言い方が悪いかもしれませんが、そこにあるのは規則正しく並んだ記号たちとも言えますし、設定を構成するには至っていません。
総括
さて、今までの話を総括しましょう。私の結論は、コラボスキンが影響を及ぼすであろう範囲では、Shadowverseには雰囲気はあるが設定は(ほぼ)無い、主観的世界観はあるが客観的世界観は無いということです。
個々の感性から出発する主観的世界観派から見れば、ストーリーは言わずもがな、ゲーム自体もハイクオリティなイラストとボイスが搭載され、進化を取り入れたゲームシステムなど、シャドウバース独特の雰囲気があると言える、となりましょう。
しかし一方、設定から出発する客観的世界観派から見れば、その雰囲気というのは記号に過ぎません。たしかにストーリーについては世界観があり、そこに組み込まれる戦闘も世界観構成の一助となると同時にその部分ではあるので、その箇所においては主観的世界観派と意見は一致するものの、あくまでも主である対人戦においては、やはり本質がカードゲームでありランクマッチであり大会であり、勝ち負けである以上、存在すると断言することは難しいといえます。
余談
おまけですが、「戦わないキャラクターをリーダースキンとして実装することには違和感がある」という批判について。
リーダーは演出上、カードを使役して相手リーダーと戦うわけですが、『ラブライブ!』のキャラクターは戦闘を目的としていません。『ラブライブ!』の内容を知らない方にとっては、まさに冒頭の「デビルアイドル・トリル」のように、「よくは分からないが何らかの理由で戦うアイドル」として映るでしょうが*17、内容を知っている方にとっては、少し違和のある光景かもしれません。
そして『ラブライブ!』は紅白歌合戦でも紹介されるほど認知度が高まっているコンテンツで、そこに登場する少女たちが少なくとも戦うアイドルでは無いことは、ほとんどの人が知っています。
今まで実装されたリーダースキンはストリートファイター、Fateと、両者とも戦闘を軸としたキャラクター群が用意されましたが、一方でギャグアニメのゾンビランドサガはスリーブとエンブレムのみでリーダースキンの実装には至っていません。流れとして、戦闘キャラのみをリーダーにするのかと思いきや、そんなことは無かったようですね。
しかしただ、本質的なところを考えると、先ほども言った通り私たちはゲーム中スキンに感情移入したりはしないわけですし、また演出から考えれば爆発したり痛がったりするので戦闘には見えますが、根本的にはカードゲームであるというところを考慮すると、リーダースキンとして実装しても障害があるわけではないはずです。
このように、主観的世界観派がラブライブコラボスキン実装を問題視するのは、「統一的な並び」、「全体を貫く要素」にそぐわないからだと思われますが、運営さんとしては、そこに配慮した実装を心がけることが重要といえそうです。
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最後に念のため付け加えますが、私にみなさんを攻撃する意図は一切、全く、これっぽっちもありませんし、考えを押し付けるつもりもありません。あくまでも私個人の考えです。ふーん、と思って流してくださればそれでいいです。
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さてさて、人気投票は誰に入れようかと悩んだ結果、私は津島善子ちゃんに入れました。友達が昔好きだと言ってたので、印象に残ってました。
【Shadowverse × スクフェス スペシャルコラボキャンペーンガール決定戦】で津島善子ちゃんに投票したよ♪みんなもコラボにピッタリのメンバーを選んで投票しよう! https://t.co/egDIAD4WlB #lovelive #スクフェス #Shadowverse #スクフェスシリーズ6周年 #シャドバスクフェスコラボ
— BABELのとらじぇでぃ (@tragedy_sv) 2019年3月19日
結果がどうなるのか楽しみです。
*1:『ラブライブ!サンシャイン!!』に登場する、9人組アイドルグループの名称
*2:一人だけか、全員か、ってことになりそうですけど、きっと全員実装してくれるはず、という願いを込めました。喧嘩になるかもですし
*3:誹謗中傷に近いコメントを批判だとは思っていません
*4:たとえば死刑反対と主張する法学者が、内心殺人犯を八つ裂きにしてやりたいと思っていたとしても不思議はありません。
*5:アニメポスターへの批判など。論争を追ってみると分かりますが、声の大きな批判者は簡単にボロを出すことが多いです
*6:抱いた嫌悪感や好感は脇においておいて、論理的に考えたうえで批判すること
*7:雰囲気があるないという話は主観的なものとなるでしょうから、後に触れさせてください。
*8:App storeでは、一番目につきやすい画像はすべてバトルについて。ストーリーについては動画で少し触れられるのみです。
*9:先日、ストーリーのイリス編クリアを条件にレジェンドパックが配布されましたが、これはテコ入れだったとも考えられます。憶測ですが。
*10:最近のストーリーでは健気な女の子になっていると聞くのでちょっと興味がわいてます
*11:ゼウスやハデスは神撃のバハムートのキャラクターであると同時に、ギリシャ神話のキャラクターでもあります
*12:7点以上のパンチをかまして聴ける叫び声に興奮することは、感情移入とは関係ないです。はい。
*13:やってないので知らんけど……。
*14:また、今までのコラボでは、ストーリーを実装せず、リーダースキンやスリーブ等を追加するのみの形が一般的でしたが、これは運営が、世界観のあるストーリーは対人戦とはまた別のものとして捉えて、コラボ先のキャラをアリサ達登場人物と関わらせることを避け、世界観のない、もしくは世界観を構成する要素が限りなく薄いゲーム自体を、当然ながら重く見た結果だと考えます。これも私の考えを強化してくれるでしょう。
*15:感情に理由付けが可能なように、主観に客観を適用することは許されると考えました
*16:https://shadowverse-portal.com/card/101711100?lang=ja
*17:まさに自分がそうで、彼女とメイド二人は何らかの理由で、戦いに参加を強いられているのだろうと勝手に想像しています